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国別データ

駿河国


年表

  1. 1537年 〜1540年

    今川義元北条氏綱

    諸勢力並立河東(駿東郡・富士郡)を北条氏綱が占領し、駿河国の残り5郡は今川義元が保持した(第一次河東一乱)
  2. 1541年 〜1544年

    今川義元北条氏康

    諸勢力並立北条氏綱の死去で氏康が家督を継いだが、河東はなお後北条方が保った
  3. 1545年 〜1559年

    今川義元

    今川氏天文14年(1545)の第二次河東一乱で今川義元・武田晴信が河東を奪還し、駿河国内は今川氏の単一支配に復した。1554年の甲相駿三国同盟で河東の係争は解消した
  4. 1545年

    第二次河東一乱――河東奪還

    今川義元は武田晴信と結び、北条氏康が支配する河東地域へ侵攻。吉原を攻略し、千本松・岡宮に陣を敷いた結果、河東は今川氏の勢力下に入った。

    第二次河東一乱――河東奪還が行われた1545年の勢力図
  5. 1553年

    2月仮名目録追加の制定

    義元は父・氏親の仮名目録を補う追加二十一か条と訴訟条目を制定し、領国支配の法的基盤を整えた。

    仮名目録追加の制定が行われた1553年の勢力図
  6. 1554年

    甲相駿三国同盟が成立

    武田・北条・今川三氏は子女の婚姻を通じて同盟関係を成立させた。

    甲相駿三国同盟が成立が行われた1554年の勢力図
  7. 河東の和睦と三国同盟

    北条氏康・武田晴信・今川義元は婚姻を通じて河東での対立を終わらせ、甲相駿三国同盟を成立させた。早川殿と黄梅院の婚姻により、三家の嫡子層を結んだ。

    河東の和睦と三国同盟が行われた1554年の勢力図
  8. 1560年 〜1568年

    今川氏真

    今川氏桶狭間で義元が討死し、氏真が家督を継いだ
  9. 1560年

    氏真の継承と領国動揺

    義元の戦死後、氏真が今川家を継承した。しかし松平元康の離反を皮切りに、領国は段階的に動揺を始めた。

    氏真の継承と領国動揺が行われた1560年の勢力図
  10. 1568年

    武田信玄が駿河へ侵攻

    武田信玄が今川氏真の領国・駿河へ侵攻して駿府を占領した。今川氏と婚姻関係にあった後北条氏は武田氏と断交し、甲相駿三国同盟は崩れた。

    武田信玄が駿河へ侵攻が行われた1568年の勢力図
  11. 大宮城をめぐる攻防

    武田方の攻撃に対し富士信忠が大宮城で抵抗した。攻撃は複数回あったとされるが、公的資料で確認できるのは永禄11〜12年という期間で、個々の月日は分かっていない。

    大宮城をめぐる攻防が行われた1568年の勢力図
  12. 1569年

    武田信玄北条氏政今川氏真

    諸勢力並立1568年12月の武田の駿河侵攻で駿府は落ちたが、北条氏政が薩埵峠へ出て武田本隊は一時甲斐へ退いた。大宮城など今川方の城も年央まで残り、年末の再侵攻(蒲原城の攻略)で武田が盛り返した
  13. 11月武田軍が深沢城を攻囲

    駿河・相模・甲斐を結ぶ要衝の深沢城を武田軍が囲み、翌元亀元年1月に開城した。

    武田軍が深沢城を攻囲が行われた1569年の勢力図
  14. 1570年 〜1572年

    武田信玄

    武田氏
  15. 1573年 〜1580年

    武田勝頼

    武田氏武田信玄の死により勝頼が家督を継いだ
  16. 1581年

    武田勝頼

    武田氏高天神城の落城(1581年3月・遠江)ののち徳川は駿河へ攻め込みはじめたが、武田の駿河支配は1582年3月の滅亡まで続いた
  17. 1582年

    徳川家康

    徳川氏
  18. 3月徳川家康が駿河国を与えられる

    武田氏滅亡後、徳川家康は織田信長から駿河一国を与えられ、従来の三河・遠江と合わせて三国を領有する大名となった。

    徳川家康が駿河国を与えられるが行われた1582年の勢力図
  19. 1583年

    徳川家康

    徳川氏
  20. 1584年

    徳川家康

    徳川氏
  21. 1585年

    徳川家康

    徳川氏
  22. 徳川家康が駿府城の築城を始める

    徳川家康が駿府城の築城を開始した。家康は天正18年(1590年)に関東へ移り、駿府城には中村一氏が入る。

    徳川家康が駿府城の築城を始めるが行われた1585年の勢力図
  23. 1586年

    徳川家康

    徳川氏
  24. 1587年

    徳川家康

    豊臣氏
  25. 1588年

    徳川家康

    豊臣氏
  26. 1589年

    徳川家康

    豊臣氏
  27. 1590年

    徳川家康

    豊臣氏徳川家康の関東移封の後に中村一氏が入った/家康の関東移封後に中村一氏へ移行
  28. 1591年 〜1597年

    中村一氏

    豊臣氏
  29. 1598年 〜1599年

    中村一氏

    豊臣氏
  30. 1600年

    徳川家康

    徳川方関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る/関ヶ原合戦後に徳川方へ移行
  31. 1601年 〜1602年

    内藤信成

    徳川政権
  32. 1603年 〜1616年

    内藤信成

    徳川政権
  33. 1606年

    家康、駿府を大御所政治本拠に定める

    将軍職を秀忠に譲り大御所となっていた家康が、駿府を大御所政治の本拠地とすることを決めた。実際の普請開始は翌年である。

    家康、駿府を大御所政治本拠に定めるが行われた1606年の勢力図
  34. 1607年

    5月23日駿府城の天下普請開始

    徳川家康の大御所政治の拠点とするため諸国大名を動員した駿府城大改修が始まり、本丸・天守台の工事が進められた。

    駿府城の天下普請開始が行われた1607年の勢力図
  35. 富士川の舟運を開削

    家康の命を受け、京都の豪商・角倉了以が富士川の開削工事を行い、甲信地方と駿河・江戸を結ぶ水運路を開いた。年貢米や塩などの輸送路が確保された。

    富士川の舟運を開削が行われた1607年の勢力図
  36. 1608年

    駿府城天守上棟

    前年の火災後に進められた駿府城再建で本丸御殿が再建され、天守が上棟した。

    駿府城天守上棟が行われた1608年の勢力図
  37. 1610年

    駿府城天守の完成

    慶長12年の火災で焼失した駿府城本丸が再建され、慶長15年に天守が完成した。

    駿府城天守の完成が行われた1610年の勢力図
  38. 1612年

    3月21日岡本大八事件

    岡本大八は有馬晴信が慶長14年のポルトガル船焼き討ちの恩賞として旧領回復を望んだのに乗じ、偽の朱印状を用いて回復を斡旋すると偽り、晴信から多額の賄賂を得た。詐欺が発覚し、大八は火刑、晴信は改易・配流のうえ死を賜った。

    岡本大八事件が行われた1612年の勢力図
  39. 1613年

    4月25日大久保長安事件

    大久保長安が駿府で病没した後、幕府が配下を調査したところ不正蓄財が発覚し、遺子7人が切腹を命じられて大久保長安家は断絶した。

    大久保長安事件が行われた1613年の勢力図
  40. 1616年

    4月17日徳川家康が駿府城で死去

    大御所として全国政治を主導していた徳川家康が駿府城で死去した。75歳。遺言により遺骸は久能山へ葬られ、駿府と江戸の二元体制は秀忠政権へ一本化された。

    徳川家康が駿府城で死去が行われた1616年の勢力図