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今川義元の家紋

駿河今川氏 当主

今川義元

生年不詳〜1560年

今川氏親・寿桂尼の子で、出家して承芳と名乗っていたが、1536年の花倉の乱で異母兄・玄広恵探を破り、太原雪斎の補佐を受けて9代当主となった。1549年には太原雪斎に安祥城を攻略させて城主・織田信広を捕らえ、竹千代(徳川家康)との人質交換によって三河の松平氏を今川氏の統制下に置いた。1553年には父・氏親の「今川仮名目録」を補う「仮名目録追加二十一箇条」と「今川家訴訟条目」を定め、駿河・遠江・三河にまたがる領国の法的基盤を整えた。1560年5月、尾張へ進軍する途上の桶狭間で織田信長の攻撃を受けて戦死し、家督は子の氏真が継いだ。

出典 静岡県立中央図書館歴史文化情報センター「今川仮名目録」/藤枝市「文武に秀でた今川一族」/静岡市歴史博物館「今川義元」/岡崎市「市指定:史跡 小豆坂古戦場跡」/安城市「安祥文化のさとまつり」/静岡市「今川氏~駿河に君臨した名家~」

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関連する出来事

6件

1549年

安祥城の奪還

当事者
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義元は太原雪斎らに安祥城を攻略させ、城主の織田信広を捕らえた。人質交換で松平氏は今川氏の保護下に置かれた。

1553年

2月

仮名目録追加の制定

当事者
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義元は父・氏親の仮名目録を補う追加二十一か条と訴訟条目を制定し、領国支配の法的基盤を整えた。

1554年

甲相駿三国同盟が成立

駿河方
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武田・北条・今川三氏は子女の婚姻を通じて同盟関係を成立させた。

1555年

8月

第二次川中島の戦い

和睦の仲介
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武田晴信と長尾景虎が犀川をはさんで200日余り対陣した戦い。旭山城が落ちないため決戦にならず、今川義元の仲介で和睦した。

1560年

5月

今川義元の上洛進軍

尾張侵攻軍指揮
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駿遠三・三河の兵を率いて尾張へ侵攻。大高城などを攻略し圧力を強める。

6月12日

桶狭間の戦い

今川軍指揮・討死
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織田信長が奇襲を敢行し、今川義元を討ち取る。尾張の主導権を掌握。

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