
甲斐武田氏 当主
生年不詳〜1582年
武田信玄の跡を継いだ甲斐武田氏の当主。母は諏訪氏出身で、いったん諏訪家の名跡を継ぐ立場に置かれたが、兄・義信の廃嫡後に後継となった。1574年に遠江高天神城を攻略して領国を最大規模へ広げたが、1575年の長篠・設楽原の戦いで織田・徳川連合軍に大敗し、馬場信春・山県昌景ら重臣の多くを失った。1579年に甲相同盟が崩壊し、1581年には高天神城を失って新府城へ本拠を移したが、1582年2月に木曾義昌が離反すると織田信忠軍の侵攻で領国は急速に崩壊し、同年3月、新府城を焼いて逃れた末、小山田信茂にも受け入れられず田野で正室・嫡子とともに自害した。
出典 山梨県立博物館「武田勝頼」特別展/韮崎市「新府城跡」/山梨県「武田勝頼の墓」/山梨県ふるさと教材・年表/新城市設楽原歴史資料館/掛川市「高天神城跡」
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5件
1573年
1575年
1581年
1582年
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