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国別データ

信濃国


年表

  1. 1488年 〜1540年

    小笠原氏・村上氏・木曾氏・諏訪氏ほか

    諸勢力並立小笠原氏・村上氏・木曾氏・諏訪氏ほか(各地に分立)
  2. 1541年 〜1552年

    武田晴信村上義清小笠原長時・木曾義康ほか

    諸勢力並立武田晴信は1542年に諏訪郡、1545年に上伊那、1547年に佐久郡、1550年に筑摩郡、1551年に小県郡を順に押さえたが、下伊那や北信濃はなお在地勢力の下にあり、信濃全体が武田領になったわけではない
  3. 1542年

    武田晴信が諏訪郡を攻略

    武田晴信は信濃国諏訪郡へ侵攻し、諏訪頼重を降伏させて諏訪支配を進めた。

    武田晴信が諏訪郡を攻略が行われた1542年の勢力図
  4. 1543年

    9月武田晴信の長窪城攻略

    武田晴信が長窪城を攻め、大井貞隆を捕らえた。武田氏が佐久から小県郡方面へ進む過程を示す。

    武田晴信の長窪城攻略が行われた1543年の勢力図
  5. 1544年

    4月上原城下の再建と武田統治

    1542年の諏訪攻略後、失われた上原城下を武田晴信が1543〜1544年に再建・再編し、板垣信方を中心とする統治拠点とした。

    上原城下の再建と武田統治が行われた1544年の勢力図
  6. 1545年

    3月高遠城の攻略と高遠頼継の敗走

    武田晴信は杖突峠を越えて伊那郡高遠へ進み、諏訪氏一門の高遠頼継を破った。この勝利により晴信の信濃侵攻が加速し、伊那郡への支配を進めた。

    高遠城の攻略と高遠頼継の敗走が行われた1545年の勢力図
  7. 6月福与城の包囲と藤沢頼親の降伏

    高遠攻略に続いて武田軍は福与城の藤沢頼親を攻めた。頼親は約1,500の兵で籠城し、援軍を求めたが得られず、6月、弟・権次郎を人質に出して城を明け渡した。武田軍は翌日、城に火を放った。

    福与城の包囲と藤沢頼親の降伏が行われた1545年の勢力図
  8. 1548年

    上田原の戦い

    武田晴信は村上義清との上田原の戦いで敗れ、板垣信方・甘利虎泰ら重臣を失った。

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  9. 1550年

    砥石城の戦い

    武田晴信は村上義清方の砥石城を攻めたが攻略できず、大きな損害を受けて退いた。

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  10. 1551年

    5月26日真田幸隆、砥石城を攻略

    真田幸隆は謀計により砥石城を攻略した。この成功で本拠地・真田を奪還し、武田配下での立場を確立したと言われる。

    真田幸隆、砥石城を攻略が行われた1551年の勢力図
  11. 1553年 〜1559年

    武田晴信長尾景虎・木曾義康・村上義清ほか

    諸勢力並立武田・上杉両勢力と北信濃諸勢力が交錯
  12. 1553年

    7月第一次川中島の戦い

    武田晴信と長尾景虎が北信濃の支配をめぐって川中島で対峙した。

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  13. 1555年

    8月第二次川中島の戦い

    武田晴信と長尾景虎が犀川をはさんで長く対陣し、今川義元の仲介で和睦した。決戦には至らなかった。

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  14. 1557年

    5月第三次川中島の戦い

    武田方が葛山城を落としたのを受けて長尾景虎が北信濃へ出兵したが、武田方は決戦を避け、決着はつかなかった。

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  15. 1560年 〜1572年

    武田信玄

    武田氏
  16. 1560年

    6月信濃国衆の動き

    川中島方面で武田信玄が軍備を整え、上杉方の国衆動員を牽制。

    信濃国衆の動きが行われた1560年の勢力図
  17. 1561年

    10月第四次川中島の戦い

    武田信玄と上杉政虎が八幡原で正面から衝突し、双方が大きな損害を出した。決着はつかず、北信濃の支配は動かなかった。

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  18. 1573年 〜1580年

    武田勝頼

    武田氏武田信玄の死により勝頼が家督を継いだ
  19. 1573年

    4月武田信玄の死去

    西上作戦の途上にあった武田信玄が病没。反信長包囲網の中核を担いうる存在を失い、各地の反織田勢力は連携力を弱めた。

    武田信玄の死去が行われた1573年の勢力図
  20. 1581年

    武田勝頼

    武田氏
  21. 1582年

    森長可徳川家康上杉景勝北条氏直小笠原貞慶真田昌幸・木曾義昌ほか

    諸勢力並立織田方の配置から天正壬午の乱後の諸勢力並立へ移行
  22. 3月25日高遠城落城

    織田信忠軍が仁科盛信の守る高遠城を攻め落とし、武田勝頼は新府城を放棄して東へ退いた。

    高遠城落城が行われた1582年の勢力図
  23. 1583年

    徳川家康上杉景勝小笠原貞慶真田昌幸・木曾義昌ほか

    諸勢力並立諸勢力が地域ごとに並立
  24. 1584年

    徳川家康上杉景勝小笠原貞慶真田昌幸・木曾義昌ほか

    諸勢力並立諸勢力が地域ごとに並立
  25. 1585年

    徳川家康上杉景勝小笠原貞慶真田昌幸・木曾義昌ほか

    諸勢力並立第一次上田合戦期の諸勢力並立
  26. 8月第一次上田合戦

    沼田領の引き渡しを拒んで徳川と断交した真田昌幸に対し、徳川軍が7,000人余で上田城を攻めた。昌幸は2,000人足らずでこれを撃退した。

    第一次上田合戦が行われた1585年の勢力図
  27. 9月上田城が一応の完成をみる

    上杉方の多くの武将を動員した普請により、上田城が一応の完成をみた。真田昌幸は次男を上杉景勝への人質として送り、築城の援助を得ていた。

    上田城が一応の完成をみるが行われた1585年の勢力図
  28. 1586年

    豊臣秀吉徳川家康上杉景勝小笠原貞慶真田昌幸・木曾義昌ほか

    諸勢力並立豊臣政権下でも在地領主の所領が並立
  29. 1587年

    豊臣秀吉徳川家康上杉景勝小笠原貞慶真田昌幸・木曾義昌ほか

    諸勢力並立豊臣政権下でも在地領主の所領が並立
  30. 1588年

    豊臣秀吉徳川家康上杉景勝小笠原貞慶真田昌幸・木曾義昌ほか

    諸勢力並立豊臣政権下でも在地領主の所領が並立
  31. 1589年

    真田昌幸小笠原貞慶・木曾義昌ほか

    豊臣氏豊臣政権下で信濃諸大名が分領
  32. 1590年

    真田昌幸小笠原貞慶・木曾義昌ほか

    豊臣氏徳川家康の関東移封に伴い、戦後に領主が再編された/家康の関東移封後に信濃諸大名を再配置
  33. 石川数正が松本へ入封

    豊臣秀吉の関東・奥羽仕置に伴い、松本に入り城郭・城下町の整備に着手した。石高は8万石ないし10万石とする説がある。

    石川数正が松本へ入封が行われた1590年の勢力図
  34. 1591年 〜1597年

    石川数正石川康長真田昌幸仙石秀久・日根野高吉ほか

    豊臣氏石川・真田・仙石・日根野氏などが分領
  35. 1598年 〜1599年

    石川数正石川康長真田昌幸仙石秀久・日根野高吉ほか

    豊臣氏石川・真田・仙石・日根野氏などが分領
  36. 1600年

    石川康長真田昌幸森忠政・仙石秀久ほか

    諸勢力並立真田昌幸が西軍で上田城に拠り他の諸大名は東軍に属した/小県郡だけが西軍方/1600年は家の色を使わず石田方と徳川方の2色で塗る
  37. 10月第二次上田合戦

    徳川秀忠軍が真田昌幸・信繁の守る上田城を攻めたが攻略できず、中山道軍の西上が遅れた。

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  38. 1601年 〜1603年

    石川康長真田信之仙石秀久・小笠原秀政・諏訪頼水ほか

    徳川政権徳川政権下で信濃諸大名が分領
  39. 1601年

    上田城明け渡しと破却

    関ヶ原合戦後、真田昌幸・信繁父子が上田城を徳川方へ明け渡し、城は破却された。

    上田城明け渡しと破却が行われた1601年の勢力図
  40. 1604年 〜1616年

    石川康長真田信之仙石秀久・小笠原秀政・諏訪頼水ほか

    徳川政権徳川政権下で信濃諸大名が分領