INTERACTIVE BATTLE

上田原の戦い

1548年 · 上田原

武田晴信は村上義清との上田原の戦いで敗れ、板垣信方・甘利虎泰ら重臣を失った。

背景

武田晴信は1542年の諏訪侵攻を皮切りに伊那・佐久へと兵を進め、信濃の大半を平定して北信濃の村上義清との対決に臨んだ。天文17年(1548)2月朔日、深い雪と雨・みぞれの中、大門峠から丸子・砂原峠を経て神畑付近まで軍を進めた。

結末

上田原で両軍が衝突し、武田方は諏訪郡代・板垣信方が戦死、大将の晴信も負傷して、晴信にとって初めての敗戦となった。晴信は陣を引こうとしなかったが、甲府の駒井政武(高白斎)が大井夫人と諮って使者を送り、帰陣を説得して上原城へ軍を収めた。

上田原の戦い — 上田原

戦況年表

1 1542年〜1547年

武田晴信、信濃を制圧し村上義清と対峙

武田晴信は諏訪・伊那・佐久を順に平定し、板垣信方を諏訪郡代として上原城に置いたのち、北信濃の村上義清との対決に臨んだ。

出典1234·確実度:中

2 1548年2月1日

武田軍、上田原へ進軍

武田軍は大雪と雨・みぞれの中、大門峠から丸子に出て砂原峠を越え、神畑付近まで兵を進めた。

出典123·確実度:高

3 1548年

上田原の戦い

武田晴信は村上義清との上田原の戦いで敗れ、板垣信方・甘利虎泰ら重臣を失った。

出典123·確実度:中

4 1548年2月

武田晴信、上原城へ撤退

初めての敗戦に納得できなかった晴信は陣を引こうとしなかったが、甲府の駒井政武(高白斎)が大井夫人と相談して使者を送り帰陣を説得し、晴信は上原城へ軍を収めた。

出典123·確実度:中

歴史的な位置づけ

武田氏の信濃侵攻で初めて喫した敗北であり、村上義清はこの後も北信濃の要衝・砥石城を拠点に抵抗を続け、両者の抗争はなお数年に及ぶことになる。

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主な関係人物

武田氏

1名

武田晴信

武田軍大将

天文17年(1548)2月、大門峠から丸子・砂原峠を経て上田原へ進軍し、村上義清の軍と衝突して負傷、当主となって初めての敗戦を喫した。

出典3·確実度:高

村上氏

1名

村上義清

村上軍大将

武田晴信の信濃侵攻を上田原で迎え撃ち、板垣信方を討ち取って武田軍を退けた

出典34·確実度:高

データ上の注意

板垣信方の戦死は出典資料に明記されるが、甘利虎泰の戦死については今回参照した資料に直接の言及がなく、本調査では公的資料での裏付けを確認できなかった。合戦の月日(2月14日など)も明記がないため、年(天文17年)にとどめている。

参照した資料

  1. 上田市「上田原合戦地」
  2. 上田市「板垣信方の墓」
  3. 上田市立博物館「上田原の合戦」
  4. 坂城町「葛尾城跡と村上義清」

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1548年の勢力図を見る
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