
武田晴信は高遠頼継の高遠城を攻略し、伊那郡への進出を進めた。一方関東では、扇谷上杉朝定が山内上杉氏・古河公方足利氏と連合し、北条綱成の守る河越城を包囲した。
3月
武田晴信は杖突峠を越えて伊那郡高遠へ進み、諏訪氏一門の高遠頼継を破った。この勝利により晴信の信濃侵攻が加速し、伊那郡への支配を進めた。
出典 長野県上伊那地域振興局「歴史散策♪福与城跡(箕輪町)」
6月
高遠攻略に続いて武田軍は福与城の藤沢頼親を攻めた。頼親は約1,500の兵で籠城し、援軍を求めたが得られず、6月、弟・権次郎を人質に出して城を明け渡した。武田軍は翌日、城に火を放った。
出典 長野県上伊那地域振興局「歴史散策♪福与城跡(箕輪町)」
10月
扇谷上杉朝定は山内上杉氏・古河公方足利氏と連合し、北条綱成の守る河越城を包囲した。
この合戦を詳しく見る →出典 川越市「川越市の歴史 中世」/川越市「県指定記念物 川越城跡」/川越市「川越の歴史年表」/川越市「河越夜戦跡」
今川義元は武田晴信と結び、北条氏康が支配する河東地域へ侵攻。吉原を攻略し、千本松・岡宮に陣を敷いた結果、河東は今川氏の勢力下に入った。
出典 沼津市教育委員会・沼津市文化財センター『興国寺城跡ガイドブック』