1607年:熊本城の完成と朝鮮通信使の来日

1607年:熊本城の完成と朝鮮通信使の来日

加藤清正が心血を注いだ熊本城がこの年完成した。同じ頃、対馬の宗氏の仲介により日朝間の国交回復交渉が実り、文禄・慶長の役以来途絶えていた朝鮮からの使節(後の朝鮮通信使)が初めて来日し、両国関係は正常化への一歩を踏み出した。

年内の主な出来事

5月23日

駿府城の天下普請開始

徳川家康の大御所政治の拠点とするため諸国大名を動員した駿府城大改修が始まり、本丸・天守台の工事が進められた。

出典 静岡市「駿府城跡・駿府城跡天守台発掘調査」

月日不詳
熊本城完成

加藤清正が築城を進めた熊本城が完成し、城下町と白川の河川改修を含む肥後支配の拠点が整えられた。

出典 【公式】熊本城「歴史」

朝鮮使節来日と国交回復

豊臣政権の朝鮮侵攻で断絶した国交の回復を進める朝鮮使節が来日し、江戸で徳川政権と国書を交換した。

出典 九州国立博物館「対馬と宗家 - 対馬宗家文書」

富士川の舟運を開削

家康の命を受け、京都の豪商・角倉了以が富士川の開削工事を行い、甲信地方と駿河・江戸を結ぶ水運路を開いた。年貢米や塩などの輸送路が確保された。

出典 富士市「富士川を行き交う~渡船と舟運」