
武田信玄の死去によって反信長勢の求心力が低下する中、織田信長は畿内・近江で攻勢を強めた。槇島城攻めで足利義昭を追放し、室町幕府は実質的に滅亡。続いて浅井長政・朝倉義景を滅ぼし、第一次信長包囲網は大きく崩壊した。各地でも勢力再編が進み、戦国時代後期の主導権が織田方へ傾く転機となった一年である。
1月25日
遠江三方ヶ原で武田軍と徳川・織田連合軍が激突し、家康は大敗。武田信玄の軍事的威勢が全国に示され、反信長勢力に大きな心理的影響を与えた。
この合戦を詳しく見る →出典 浜松市「犀ヶ崖古戦場」(静岡県指定史跡)
8月
織田軍の越前侵攻により朝倉義景は一乗谷を放棄して敗走。家臣の離反も重なり自害し、戦国大名朝倉氏は滅亡した。
出典 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館「朝倉氏の歴史」
9月
北近江の小谷城が織田軍に攻め落とされ、浅井長政は自害。浅井氏は滅亡し、近江北部は織田方の支配下に入った。
出典 滋賀県教育委員会「近江戦国探訪ガイドブック2 信長の城と戦国近江」