年代地図へ戻る

国別データ

武蔵国

戦国前期は山内上杉氏と扇谷上杉氏、古河公方方が入り乱れて対立する分裂状態が続いた。後北条氏は1546年の河越合戦を境に優位に立ち、1590年の小田原合戦で滅びるまで武蔵の大半を支配した。北条氏滅亡後は徳川家康の領国となり、江戸を本拠として関東支配の中心地になった。


年表

  1. 1537年 〜1545年

    北条氏綱北条氏康上杉憲政上杉朝定・足利晴氏ほか

    諸勢力並立河越城をめぐり後北条氏と上杉・古河公方連合が対立
  2. 1545年

    10月上杉・古河公方連合軍が河越城を包囲

    扇谷上杉朝定は山内上杉氏・古河公方足利氏と連合し、北条綱成の守る河越城を包囲した。

    この合戦を詳しく見る →
  3. 1546年 〜1559年

    北条氏康上杉憲政・太田資正ほか

    後北条氏後北条氏優勢のもと上杉方・在地勢力が残存
  4. 1546年

    4月河越合戦

    北条氏康の援軍が河越城を包囲する上杉・古河公方連合軍を破り、扇谷上杉朝定は討死した。

    この合戦を詳しく見る →
  5. 1555年

    足利義氏の元服

    梅千代王丸が北条氏康の加冠役のもとで葛西城で元服し、将軍足利義輝から「義」の字を与えられた。

    足利義氏の元服が行われた1555年の勢力図
  6. 1560年 〜1571年

    北条氏政

    後北条氏氏康は1559年に氏政へ家督を譲ったのち、1571年の死まで実権を握った
  7. 1562年

    1月葛西城の攻防

    北条方の太田康資勢が葛西城を包囲。約2か月持ちこたえたが4月下旬に陥落。この際、安房里見氏の重臣が討ち取られた。

    葛西城の攻防が行われた1562年の勢力図
  8. 11月松山城の包囲

    北条氏康は武田信玄の応援を得て松山城を包囲。約3か月の包囲のうえ、翌1563年2月に陥落させた。

    松山城の包囲が行われた1562年の勢力図
  9. 1564年

    太田資正の追放

    国府台合戦で敗北した太田資正は岩付城に逃れたが、まもなく嫡子・氏資に追放されて北条氏に服属した。

    太田資正の追放が行われた1564年の勢力図
  10. 1572年 〜1580年

    北条氏政

    後北条氏
  11. 1581年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  12. 1582年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  13. 1583年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  14. 1584年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  15. 1585年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  16. 1586年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  17. 1587年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  18. 1588年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  19. 1589年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  20. 1590年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った/小田原の役の後に徳川家康が関東へ移った/小田原合戦後に徳川家康へ移行
  21. 6月14日鉢形城開城

    豊臣方の前田利家・上杉景勝に約一か月包囲されていた鉢形城が降伏。北条氏邦の北関東支配の要が失われた。

    鉢形城開城が行われた1590年の勢力図
  22. 6月23日八王子城落城

    前田利家・上杉景勝ら豊臣方の北国勢が八王子城を攻め、城は一日で落城した。

    八王子城落城が行われた1590年の勢力図
  23. 8月1日徳川家康が江戸へ入る

    関東へ移封された徳川家康が江戸城へ入り、江戸を領国経営の拠点とした。

    徳川家康が江戸へ入るが行われた1590年の勢力図
  24. 1591年 〜1597年

    徳川家康

    豊臣氏
  25. 1598年 〜1599年

    徳川家康

    豊臣氏
  26. 1600年

    徳川家康

    徳川方関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る
  27. 1601年 〜1602年

    徳川家康

    徳川政権
  28. 1601年

    1月東海道の宿駅公認

    東海道沿いの集落に対し、家康の朱印を押した「伝馬朱印状」と宿場の常備馬数などを定めた「御伝馬之定」を交付し、近世の東海道宿駅制度が成立した。

    東海道の宿駅公認が行われた1601年の勢力図
  29. 1603年 〜1616年

    徳川家康

    徳川政権
  30. 1604年

    日本橋を起点とする五街道制

    江戸幕府は日本橋を全国の道程の起点と定め、東海道など五街道を軸とする交通制度の整備を進めた。

    日本橋を起点とする五街道制が行われた1604年の勢力図
  31. 一里塚の設置

    江戸日本橋を起点として、街道の両側に1里(約4km)ごとに塚を築かせ、榎などを植えさせた。旅人にとっての道のりの目安、および駕籠や馬の料金の目安として機能した。

    一里塚の設置が行われた1604年の勢力図
  32. 1606年

    江戸城の天下普請が本格化

    西国諸大名にも普請役を課した江戸城の大規模拡張が進み、本丸が整備された。

    江戸城の天下普請が本格化が行われた1606年の勢力図
  33. 藤堂高虎が江戸城天守設計に当たる

    江戸城修築において高虎は天守閣の設計、二の丸・三の丸の増築に携わり、この功により2万石加増された。

    藤堂高虎が江戸城天守設計に当たるが行われた1606年の勢力図
  34. 1607年

    朝鮮使節来日と国交回復

    豊臣政権の朝鮮侵攻で断絶した国交の回復を進める朝鮮使節が来日し、江戸で徳川政権と国書を交換した。

    朝鮮使節来日と国交回復が行われた1607年の勢力図
  35. 1612年

    9月1日幕府直轄領でキリスト教禁止

    江戸幕府は直轄領でキリスト教を禁止し、翌年以降の全国的な禁教強化へつながる宗教政策を進めた。

    幕府直轄領でキリスト教禁止が行われた1612年の勢力図

この国の郡(22)

久良岐郡
児玉郡
入間郡
埼玉郡
多摩郡
大里郡
幡羅郡
新座郡
榛沢郡
横見郡
橘樹郡
比企郡
男衾郡
秩父郡
荏原郡
葛飾郡
豊島郡
賀美郡
足立郡
那珂郡
都筑郡
高麗郡

広告