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高輪原の戦い

1524年1月 · 高輪原

北条氏綱は1月13日に高輪原で扇谷上杉朝興を破り、太田資高の離反を得て江戸城を攻略した。江戸城は北条氏の武蔵進出の拠点となった。

背景

早雲の跡を継いだ北条氏綱にとって、この戦いは自ら初めて指揮する合戦だった。扇谷上杉朝興の重臣で江戸城代だった太田資高が氏綱に内応したことが、氏綱に武蔵出兵の好機をもたらした。

結末

大永4年(1524)正月、氏綱は武蔵国高輪原(現東京都港区高輪)で扇谷上杉朝興と戦い勝利した。その勢いで江戸城を攻略し、以後の武蔵進出の拠点とした。兵力や戦闘の詳しい経過は確認できていない。

高輪原の戦い — 高輪原

戦況年表

1 1524年1月

高輪原合戦と江戸城攻略

北条氏綱は1月13日に高輪原で扇谷上杉朝興を破り、太田資高の離反を得て江戸城を攻略した。江戸城は北条氏の武蔵進出の拠点となった。

出典1·確実度:中

歴史的な位置づけ

早雲死後初めて氏綱が采配をふるった戦いであり、勝利と江戸城攻略によって北条氏の勢力が初めて武蔵国内へ及ぶ画期となった。

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主な関係人物

後北条氏

2名

北条氏綱

北条方総大将

早雲の跡を継いで初めて自ら軍を指揮し、扇谷上杉朝興と高輪原で戦って勝利した。その勢いで江戸城を攻略し、以後の武蔵進出の拠点とした。

出典12·確実度:高


太田資高

内応した江戸城代

扇谷上杉朝興の重臣で江戸城代だったが氏綱に寝返り、これが高輪原での氏綱勝利・江戸城攻略の契機となった。合戦当日に高輪原で自ら交戦したかは、確認できた資料からは特定できない。

出典2·確実度:中

扇谷上杉氏

1名

上杉朝興

江戸城主・扇谷上杉氏当主

江戸城主として高輪原で北条氏綱と戦って敗れ、家臣太田資高の内応もあって江戸城を失った。

出典12·確実度:高

1524年の他のできごと

参照した資料

  1. 港区「地名の歴史(高輪地区)」
  2. 小田原市「後北条氏5代」(氏綱の代)

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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