
冬の陣の講和で外堀を埋められて裸城同然となった大坂城の豊臣方は、野戦に活路を求めて徳川方と激突したが敗れ、5月に秀頼・淀殿は自害して豊臣宗家は滅亡した。幕府は間もなく一国一城令と武家諸法度を公布し、諸大名の築城・軍備を厳しく統制する体制を築いて、戦国の世に終止符を打った。
5月6日
河内の道明寺・玉手山で後藤基次が、八尾・若江で木村重成・長宗我部盛親が徳川方と交戦し、基次と重成が戦死した。
この合戦を詳しく見る →出典 柏原市「玉手山と大坂夏の陣」/八尾市「三一巻 続・河内名所図会を訪ねて(3) 大坂夏の陣と八尾」