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徳川秀忠の家紋

武将

徳川秀忠

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関連する出来事

8件

1600年

10月

第二次上田合戦

徳川軍総大将
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徳川秀忠軍が真田昌幸・信繁の守る上田城を攻めたが攻略できず、中山道軍の西上が遅れた。

1601年

上田城明け渡しと破却

上田城を接収した徳川軍総大将
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関ヶ原合戦後、真田昌幸・信繁父子が上田城を徳川方へ明け渡し、城は破却された。

1603年

2月12日

徳川家康が征夷大将軍に就任

将軍家後継者として江戸を支える
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徳川家康が伏見城で征夷大将軍の宣下を受け、江戸幕府が成立した。

1605年

4月16日

徳川秀忠が征夷大将軍に就任

第2代将軍就任
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徳川家康は伏見城で将軍職を秀忠へ譲り、徳川家による将軍職世襲の方針を天下に示した。

1612年

9月1日

幕府直轄領でキリスト教禁止

将軍
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江戸幕府は直轄領でキリスト教を禁止し、翌年以降の全国的な禁教強化へつながる宗教政策を進めた。

1614年

11月

大坂冬の陣

徳川方の大将
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方広寺鐘銘事件を機に徳川家康が諸大名へ出陣を命じ、20万人規模と伝わる徳川方が大坂城を包囲した合戦。真田信繁が築いた出丸・真田丸で徳川方を撃退したが、12月19日に和睦し、惣構を含む堀は翌年の夏の陣までに埋め立てられた。

1615年

5月8日

大坂城落城と豊臣氏滅亡

徳川方将軍
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大坂城が落城し、豊臣秀頼と淀殿が自害して豊臣宗家が滅亡した。

7月7日

武家諸法度発布

発布した将軍
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徳川秀忠が伏見城に諸大名を集め、幕府と大名の統制原則を定めた武家諸法度を発布した。

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