1615年:大坂夏の陣—豊臣氏の滅亡と一国一城令

1615年:大坂夏の陣—豊臣氏の滅亡と一国一城令

冬の陣の講和で外堀を埋められて裸城同然となった大坂城の豊臣方は、野戦に活路を求めて徳川方と激突したが敗れ、5月に秀頼・淀殿は自害して豊臣宗家は滅亡した。幕府は間もなく一国一城令と武家諸法度を公布し、諸大名の築城・軍備を厳しく統制する体制を築いて、戦国の世に終止符を打った。

年内の主な出来事

5月6日

大坂夏の陣、道明寺と八尾・若江で激突

河内の道明寺・玉手山で後藤基次が、八尾・若江で木村重成・長宗我部盛親が徳川方と交戦し、基次と重成が戦死した。

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出典 柏原市「玉手山と大坂夏の陣」/八尾市「三一巻 続・河内名所図会を訪ねて(3) 大坂夏の陣と八尾」

5月8日

大坂城落城と豊臣氏滅亡

大坂城が落城し、豊臣秀頼と淀殿が自害して豊臣宗家が滅亡した。

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出典 国立公文書館「大坂冬の陣・夏の陣」

7月7日

武家諸法度発布

徳川秀忠が伏見城に諸大名を集め、幕府と大名の統制原則を定めた武家諸法度を発布した。