国別データ
1488年 〜1549年
島津忠昌・島津勝久・島津実久・島津忠良・渋谷氏・菱刈氏ほか
諸勢力並立島津氏内部の対立と北薩国人衆の自立が並存1543年
8月25日ポルトガル人の漂着と種子島時堯による鉄砲の入手
ポルトガル人を乗せた明国船が種子島南端の門倉岬に漂着し、島主・種子島時堯が鉄砲を購入した。日本への火器伝来の始まりとされる。
ポルトガル人の漂着と種子島時堯による鉄砲の入手が行われた1543年の勢力図1549年
1550年 〜1559年
1560年
1561年 〜1569年
1570年 〜1571年
1570年
秋島津義久、薩摩国内の統一を進める
薩摩国内では東郷氏・入来院氏らが服属し統一が進む一方、大隅国では肝付氏など有力国衆となお抗争が続いていた。
島津義久、薩摩国内の統一を進めるが行われた1570年の勢力図1572年 〜1580年
1581年
1582年
1583年
1584年
1585年
1586年
1587年
1588年
1589年
1590年
1591年 〜1597年
1598年 〜1599年
1600年
1601年
1602年
島津忠恒・島津義久ほか
徳川政権慶長7年、忠恒が伏見城で家康と会い和睦・所領安堵が確定し、義久から家督を継いだ。尚古集成館による。「家久」は慶長11年の偏諱以降の名。島津氏が本領安堵を受ける
関ヶ原で西軍に属した島津義弘に代わり、島津忠恒(家久)が徳川家康との関係修復にあたり、慶長7年、薩摩・大隅および日向国諸県郡の支配を家康に認められた。
島津氏が本領安堵を受けるが行われた1602年の勢力図1603年
島津忠恒
徳川政権慶長7年末に家督と本領安堵が確定した忠恒が当主。「家久」は慶長11年に家康から偏諱を受けて以降の名で、この年に置くのは先取り。尚古集成館による。1604年 〜1616年
1609年
3月島津氏が琉球へ出兵
薩摩の島津家久が琉球へ兵を送り、首里王府を制圧した。以後、琉球は薩摩の影響下に置かれながら中国との関係も保つことになった。地図上の点は出兵側の薩摩に置く。琉球は本サイトの国マスタに登録が無い。
島津氏が琉球へ出兵が行われた1609年の勢力図歴史人別冊 戦国武将の全国勢力変遷マップ
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