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国別データ

出雲国


年表

  1. 1488年 〜1540年

    尼子経久

    尼子氏
  2. 1541年 〜1560年

    尼子晴久

    尼子氏
  3. 1542年

    大内義隆の出雲遠征

    郡山城攻防での勝利を背景に、大内義隆が大軍を率いて出雲へ遠征し、尼子氏の本拠・月山富田城を攻囲した。

    大内義隆の出雲遠征が行われた1542年の勢力図
  4. 1543年

    大内義隆の撤退と大内晴持の死

    天文11年から月山富田城を攻囲していた大内軍は天文12年、尼子晴久の反撃と国人衆の離反によって攻略に失敗し撤退。撤退の途上で、義隆が寵愛していた養嗣子・大内晴持が死去した。

    大内義隆の撤退と大内晴持の死が行われた1543年の勢力図
  5. 1552年

    尼子晴久、八か国の守護に補任

    尼子晴久は幕府から修理大夫および山陰・山陽八か国の守護に任じられ、軍事的な勢力拡大に公的権威を加えた。

    尼子晴久、八か国の守護に補任が行われた1552年の勢力図
  6. 1560年

    10月毛利氏の中国支配拡大

    毛利元就が山陰の尼子残党勢力を攻撃し、勢力圏を拡大。

    毛利氏の中国支配拡大が行われた1560年の勢力図
  7. 1561年 〜1562年

    尼子義久

    尼子氏尼子晴久の死により義久が家督を継いだ
  8. 1563年 〜1566年

    尼子義久毛利元就

    諸勢力並立1563年10月の白鹿城の落城で毛利氏が出雲へ食い込み、月山富田城が包囲された。開城は1566年11月
  9. 1566年

    月山富田城が開城

    毛利軍が尼子氏の本拠・月山富田城を長期の兵糧攻めで追い詰め、尼子義久が降伏して開城。毛利氏が出雲・伯耆を支配下に置いた。

    月山富田城が開城が行われた1566年の勢力図
  10. 1567年 〜1569年

    毛利元就

    毛利氏尼子義久の降伏で出雲は毛利領となった
  11. 1570年 〜1571年

    毛利輝元

    毛利氏毛利輝元は1563年に家督を継いだが、元就が1571年の死まで後見した
  12. 1570年

    尼子勝久の反攻

    還俗した尼子勝久を主将に、山中幸盛らが出雲へ侵攻し一時大半を制圧するが、帰国した毛利輝元・吉川元春・小早川隆景の大軍に布部山で大敗し、勢力を大きく後退させる。

    尼子勝久の反攻が行われた1570年の勢力図
  13. 毛利氏の山陰方面防衛

    毛利輝元が山陰の要衝・月山富田城を中心に防備を固め、尼子残党や織田方勢力の進出を阻止。

    毛利氏の山陰方面防衛が行われた1570年の勢力図
  14. 1572年 〜1580年

    毛利輝元

    毛利氏
  15. 1581年

    毛利輝元

    毛利氏
  16. 1582年

    毛利輝元

    毛利氏
  17. 1583年

    毛利輝元

    毛利氏
  18. 1584年

    毛利輝元

    毛利氏
  19. 1585年

    毛利輝元

    毛利氏
  20. 1586年

    毛利輝元

    豊臣氏
  21. 1587年

    毛利輝元

    豊臣氏
  22. 1588年

    毛利輝元

    豊臣氏
  23. 1589年

    吉川広家

    豊臣氏
  24. 1590年

    吉川広家

    豊臣氏月山富田の吉川広家が在国した
  25. 1591年 〜1597年

    毛利輝元

    豊臣氏
  26. 1598年 〜1599年

    毛利輝元

    豊臣氏
  27. 1600年

    毛利輝元・吉川広家ほか

    石田方月山富田城の吉川広家は黒田長政を通じて家康へ内通し南宮山の毛利軍を動かさなかった/内通は公然の離反ではないため色は毛利領のまま西軍とする
  28. 1601年 〜1603年

    堀尾吉晴・堀尾忠氏

    徳川政権
  29. 1604年 〜1616年

    堀尾吉晴・堀尾忠晴

    徳川政権

この国の郡(10)

仁多郡
出雲郡
大原郡
島根郡
意宇郡
楯縫郡
神門郡
秋鹿郡
能義郡
飯石郡

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