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国別データ

美濃国


年表

  1. 1517年 〜1541年

    土岐頼武・土岐頼芸・斎藤氏諸派ほか

    諸勢力並立土岐氏内訌と斎藤氏の台頭
  2. 1542年 〜1555年

    斎藤道三・土岐頼純・土岐頼芸ほか

    斎藤氏斎藤道三優勢のもと土岐氏残党が抗争
  3. 1556年 〜1561年

    斎藤義龍

    斎藤氏
  4. 1556年

    5月長良川の戦い

    斎藤道三が嫡男の義龍と長良川で戦って討たれた。織田信長の援軍は間に合わず、美濃は義龍の手に落ちた。

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  5. 1560年

    1月斎藤義龍急死

    美濃の斎藤義龍が急死し、嫡子・斎藤龍興が家督を継ぐ。国内は不安定化。

    斎藤義龍急死が行われた1560年の勢力図
  6. 4月美濃国内の動揺

    斎藤龍興の若年就任に反発する国衆が一部離反し、織田方との内通も発生。

    美濃国内の動揺が行われた1560年の勢力図
  7. 1562年 〜1564年

    斎藤龍興

    斎藤氏
  8. 1564年

    竹中重治らが稲葉山城を占拠

    竹中重治と安藤守就らは斎藤龍興の居城・稲葉山城を一時占拠し、斎藤氏の領国支配の動揺を示した。

    竹中重治らが稲葉山城を占拠が行われた1564年の勢力図
  9. 1565年 〜1566年

    斎藤龍興織田信長

    諸勢力並立斎藤氏に対し織田氏が東美濃へ進出
  10. 1567年

    織田信長

    織田氏稲葉山城攻略により斎藤氏から織田氏へ転換
  11. 8月織田信長が稲葉山城を攻略

    織田信長は斎藤龍興の稲葉山城を攻略して美濃を掌握し、城下を岐阜と改称して居城を移した。

    織田信長が稲葉山城を攻略が行われた1567年の勢力図
  12. 1568年 〜1575年

    織田信長

    織田氏
  13. 1576年 〜1580年

    織田信長織田信忠

    織田氏織田信忠が岐阜城主として美濃・尾張の一部を統治
  14. 1581年

    織田信忠

    織田氏
  15. 1582年

    織田信孝

    織田信孝方
  16. 7月織田信孝が三法師の後見として岐阜城主となる

    清須会議後、織田信孝は三法師の後見人として岐阜城主となった。信孝は三法師を岐阜城に置き、織田家中での立場を固めようとした。

    織田信孝が三法師の後見として岐阜城主となるが行われた1582年の勢力図
  17. 1583年

    池田元助

    羽柴氏岐阜城開城後に池田元助へ移行
  18. 1584年

    池田元助

    羽柴氏池田元助から池田輝政へ移行
  19. 1585年

    池田輝政

    羽柴氏美濃国の大部分
  20. 1586年

    池田輝政

    豊臣氏美濃国の大部分
  21. 1587年

    池田輝政

    豊臣氏美濃国の大部分
  22. 1588年

    池田輝政

    豊臣氏美濃国の大部分
  23. 1589年

    池田輝政

    豊臣氏岐阜城主・美濃の大部分
  24. 8月美濃国の統一的検地

    豊臣秀吉が美濃国を直轄領・大名領の区別なく統一的基準で検地し、全国の軍役・知行の基準を揃える政策を進めた。

    美濃国の統一的検地が行われた1589年の勢力図
  25. 1590年

    池田輝政

    豊臣氏池田輝政は戦後に三河吉田へ移った/池田輝政の三河移封後に領主を再配置
  26. 1591年

    豊臣秀勝ほか

    豊臣氏豊臣秀勝を岐阜城主として諸大名が分領
  27. 1592年

    豊臣秀勝

    豊臣氏豊臣秀勝の死後に織田秀信が岐阜城主
  28. 1593年 〜1597年

    織田秀信ほか

    豊臣氏織田秀信を岐阜城主として諸大名が分領
  29. 1598年 〜1599年

    豊臣秀頼・織田秀信ほか

    豊臣氏秀頼直轄領と美濃諸大名領が並立
  30. 1600年

    織田秀信ほか

    石田方岐阜城の織田秀信が西軍に属し、東軍に攻め落とされた/関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る/岐阜城落城と関ヶ原合戦を経て領主を再編
  31. 9月15日本多忠勝、関ヶ原で軍監を務める

    東軍の軍監として参陣し、十九女池西側に布陣。午後には松平忠吉・井伊直政と共に島津義弘隊を追撃した。

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  32. 9月15日島津の退き口

    西軍として関ヶ原に布陣した島津義弘隊が、家康本陣正面への敵中突破を敢行。伊勢路を経て堺から海路で薩摩へ帰還した。

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  33. 9月30日岐阜城落城

    東軍の福島正則・池田輝政らが織田秀信の守る岐阜城を攻め落とし、東海道方面の進路を確保した。

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  34. 10月藤堂高虎が関ヶ原で東軍に属し今治を領す

    関ヶ原の戦いで東軍に属して戦い、その戦功により12万石加増の20万石に達し、伊予国今治に封じられた。

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  35. 10月20日杭瀬川の戦い

    関ヶ原の前日、大垣城を出た島左近・蒲生備中ら約500が杭瀬川を渡って東軍の中村一栄隊を挑発し、伏兵で破った。西軍が唯一勝利した前哨戦である。

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  36. 10月21日関ヶ原の戦い

    美濃関ヶ原で東西両軍が激突。徳川家康率いる東軍が大勝。

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  37. 1601年 〜1602年

    奥平信昌・石川康通ほか

    徳川政権加納10万石の奥平信昌と大垣の石川康通。従来記載の戸田氏鉄の大垣入部は1635年であり誤り。岐阜県・大垣市による。
  38. 1603年

    奥平信昌・石川康通ほか

    徳川政権加納10万石の奥平信昌と大垣の石川康通。戸田氏鉄の大垣入部は寛永12年(1635年)であり、この年に置くのは誤り。岐阜市・大垣市による。
  39. 1604年 〜1616年

    奥平信昌・戸田氏鉄ほか

    徳川政権諸大名領と幕府領が並立

この国の郡(21)

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