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美濃斎藤氏 当主

斎藤義龍

生年不詳〜1561年

斎藤道三の嫡男。父が義龍の弟を重んじたことで不和となり、天文24年(1555)に弟たちを殺害して父との対立を決定的にした。弘治2年(1556)、稲葉山城から出陣して長良川で道三の軍を破り、父を討ち取って美濃の国主となった。道三の娘婿として援軍に向かった織田信長は決着に間に合わず、以後尾張の織田氏との抗争が続いた。義龍は1561年に急死するまで美濃の国主であり続けた。

出典 岐阜県歴史資料館「斎藤義龍肖像」/岐阜市「[市]道三塚」/岐阜市「ナビ番号:315 常在寺」

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関連する出来事

3件

1556年

5月

長良川の戦い

斎藤軍総大将・父道三を破る
この合戦を詳しく見る →

斎藤道三が嫡男の義龍と長良川で戦って討たれた。織田信長の援軍は間に合わず、美濃は義龍の手に落ちた。

1560年

1月

斎藤義龍急死

美濃当主・急死
地図で見る

美濃の斎藤義龍が急死し、嫡子・斎藤龍興が家督を継ぐ。国内は不安定化。

4月

美濃国内の動揺

美濃国内の前当主
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斎藤龍興の若年就任に反発する国衆が一部離反し、織田方との内通も発生。

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