POLITICAL EVENT
1551年9月 · 大寧寺
陶晴賢の軍勢に追われた大内義隆が大寧寺で自害し、大内氏の政治体制が大きく変質した。
天文20年(1551)8月、大内氏の重臣・陶晴賢が謀反を起こして山口を攻め、大内義隆は本拠を追われた。義隆は長門国仙崎から海路九州への逃走を図ったが、果たせなかった。
義隆は長門国深川湯本の大寧寺に入ったが、9月1日、陶晴賢方の攻撃を受けて自刃した。寺も兵火で全焼したが後に再建され、境内には義隆・義尊父子と家臣31基の墓が残る。

陶晴賢、大内義隆にそむき山口を攻める
重臣の陶晴賢が謀反を起こし、山口を攻めて大内義隆を追った。
出典12345·確実度:中
大内義隆、仙崎から九州への渡航を試みるが果たせず
山口を追われた大内義隆は仙崎から海路で九州へ逃れようとしたが、果たせなかった。
出典123·確実度:中
大内義隆、大寧寺で自刃
陶晴賢方の攻撃を受け、大内義隆は大寧寺で自刃した。寺も陶軍の兵火で全焼したが、後に再建された。
出典1234·確実度:高
大内義隆の自刃により、大内氏当主による実質的な統治は終わり、実権は陶晴賢に移った。西日本随一の勢力を誇った大内氏の政治体制はこれを境に大きく変質し、以後の中国地方の勢力図に影響を及ぼした。
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データ上の注意
陶晴賢の挙兵地を通説で若山城(現・周南市)とする解説があるが、本調査で確認できた公的資料には記載がなく、本文には含めていない。義隆が九州への渡航を果たせなかった具体的な理由も、確認できた資料には明記がない。
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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