
関ヶ原の勝利から間もなく、徳川家康は論功行賞を実施し、西軍に与した大名を改易・減封する一方、東軍方の大名には加増を行った。豊臣恩顧の大名の多くは中国・四国・九州など遠隔地へ移され、畿内や東海道の要地は徳川一門・譜代大名で固められ、江戸時代の大名配置の原型が形作られた。
1月
東海道沿いの集落に対し、家康の朱印を押した「伝馬朱印状」と宿場の常備馬数などを定めた「御伝馬之定」を交付し、近世の東海道宿駅制度が成立した。
出典 国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所「伝馬朱印状とはどういうものですか?」
5月
通用銀を全国で統一するため、家康は伏見に初めて銀座を設けた。四町にわたって会所・役宅が置かれ、慶長金銀の鋳造・管理を統轄する機構が成立した。
出典 京都市「伏見銀座跡(フィールドミュージアム京都)」
関ヶ原合戦後、真田昌幸・信繁父子が上田城を徳川方へ明け渡し、城は破却された。
大多喜から伊勢国桑名10万石へ転封され、初代桑名藩主となった。城下町の整備(慶長の町割)を行い、桑名の基盤を作った。
出典 桑名市「桑名の歴史をたずねて」
1600年に仙台への移転を決定し縄張りを行った政宗が、1601年に仙台城の本格的な築城を開始。
出典 仙台市「仙台城の紹介-仙台城の歴史-」
相川で金銀山が発見されたことを受け、佐渡島全体を幕府の直轄領(天領)とした。代官・大久保長安が佐渡経営を統轄し、やがて幕府財政の重要な支柱となった。
出典 新潟県佐渡市「国指定 記念物:佐渡金銀山遺跡」