1601年:関ヶ原の戦後処理—大名配置の大転換

1601年:関ヶ原の戦後処理—大名配置の大転換

関ヶ原の勝利から間もなく、徳川家康は論功行賞を実施し、西軍に与した大名を改易・減封する一方、東軍方の大名には加増を行った。豊臣恩顧の大名の多くは中国・四国・九州など遠隔地へ移され、畿内や東海道の要地は徳川一門・譜代大名で固められ、江戸時代の大名配置の原型が形作られた。

年内の主な出来事

1月

東海道の宿駅公認

東海道沿いの集落に対し、家康の朱印を押した「伝馬朱印状」と宿場の常備馬数などを定めた「御伝馬之定」を交付し、近世の東海道宿駅制度が成立した。

出典 国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所「伝馬朱印状とはどういうものですか?」

1月8日

山内一豊が浦戸城へ入城

関ヶ原合戦後に土佐一国を与えられた山内一豊が、甲浦から陸路を進んで浦戸城へ入った。

5月

伏見銀座設置

通用銀を全国で統一するため、家康は伏見に初めて銀座を設けた。四町にわたって会所・役宅が置かれ、慶長金銀の鋳造・管理を統轄する機構が成立した。

出典 京都市「伏見銀座跡(フィールドミュージアム京都)」

月日不詳
上田城明け渡しと破却

関ヶ原合戦後、真田昌幸・信繁父子が上田城を徳川方へ明け渡し、城は破却された。

真田昌幸・信繁父子が九度山へ配流

上田城を明け渡した真田昌幸・信繁父子が、紀伊国高野山麓の九度山へ配流された。

上杉景勝が米沢へ減封

関ヶ原合戦後、上杉景勝が会津120万石から米沢30万石へ減封され、米沢を本拠とする領国経営へ移った。

二条城築城を諸大名に命令

徳川家康が京都御所の守護と上洛時の宿所とする二条城の築城を西国諸大名に命じた。

出典 京都市「元離宮二条城 年表」

本多忠勝、伊勢桑名へ転封

大多喜から伊勢国桑名10万石へ転封され、初代桑名藩主となった。城下町の整備(慶長の町割)を行い、桑名の基盤を作った。

出典 桑名市「桑名の歴史をたずねて」

藤堂高虎が宇和島城を完成させる

高虎が主導した宇和島城が慶長6年に完成した。これが大名として初めての近世城郭となった。

出典 宇和島市「国指定 宇和島城」

伊達政宗が仙台城普請を開始

1600年に仙台への移転を決定し縄張りを行った政宗が、1601年に仙台城の本格的な築城を開始。

出典 仙台市「仙台城の紹介-仙台城の歴史-」

佐渡が幕府直轄領となる

相川で金銀山が発見されたことを受け、佐渡島全体を幕府の直轄領(天領)とした。代官・大久保長安が佐渡経営を統轄し、やがて幕府財政の重要な支柱となった。

出典 新潟県佐渡市「国指定 記念物:佐渡金銀山遺跡」