
3月、上杉謙信が後継者を定めぬまま急死し、養子の景勝と景虎が家督を争う御館の乱が越後で勃発した。畿内では信長の重臣・荒木村重が突如毛利・本願寺方に転じて有岡城に籠城し、信長は摂津方面の重要拠点を失う危機に直面した。
3月
三木城主・別所長治が織田方から離反して毛利方に呼応し、羽柴秀吉による三木城攻囲が始まった。
この合戦を詳しく見る →出典 三木市「三木合戦とは【豊臣兄弟と三木】」/三木市「三木城跡及び付城跡・土塁(国指定史跡)」/三木市「三木合戦の史跡・スポット」
謙信の死後、景勝が春日山城中枢を確保。景虎は御館を拠点に対抗。越後国衆は陣営を分けて内戦へ進んだ。
出典 新潟県上越地域振興局「上越妙高 山城マップ」
7月
織田信長の嫡男・信忠は三木合戦に出陣し、羽柴秀吉の本陣となる平井山ノ上付城などを築いて包囲網を強化した。
この合戦を詳しく見る →出典 三木市「三木合戦とは【豊臣兄弟と三木】」/三木市「三木城跡及び付城跡・土塁(国指定史跡)」/三木市「三木合戦の史跡・スポット」
11月6日
九鬼嘉隆が率いる織田方の大安宅船が毛利水軍を破り、石山本願寺への海上補給路を遮断した。
出典 鳥羽市「九鬼嘉隆(人物概要)」
11月12日
日向奪回を掲げて出兵した大友宗麟の軍が、高城・耳川で島津義久・義弘らの軍に大敗した。島津氏の日向支配が固まり、大友氏の優位は失われていった。