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中川清秀の家紋

摂津の武将

中川清秀

生年不詳〜1583年

摂津国人として荒木村重の配下にあり茨木城を預かったが、天正6年11月24日の村重の信長からの離反に際して織田信長方へ転じた。羽柴秀吉に仕えて山崎・賤ヶ岳の戦いで秀吉方として行動し、天正13年の摂津仕置により播磨国三木へ移封された。天正11年の賤ヶ岳の戦いで大岩山砦を守り、柴田方の先鋒佐久間盛政の急襲により戦死した。翌年、嫡男秀政が家督を継ぎ、茨木城周辺統治を引き継いだ。

出典 茨木市立文化財資料館『史料にみる茨木城』、茨木市『いばらきの歴史』

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関連する出来事

4件

1578年

11月24日

中川清秀が織田方に転じる

当事者
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荒木村重に従って籠城していた中川清秀が村重方の石田伊予・渡辺勘太夫を追い出し、織田信長に降伏した。

1582年

7月2日

山崎の戦い

秀吉方の先鋒
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本能寺の変の11日後、備中から引き返した羽柴秀吉が明智光秀を山崎で破った合戦。光秀の政権は10日あまりで潰え、秀吉が織田家中で抜きん出る契機となった。

1583年

6月11日

賤ヶ岳の戦い

大岩山砦を守って戦死
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羽柴秀吉軍と柴田勝家軍が近江国伊香郡の賤ヶ岳周辺で戦い、柴田軍が敗れた。

中川清秀が大岩山砦で戦死

当事者
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賤ヶ岳の戦いで佐久間盛政の攻撃を受けて、秀吉軍先陣の大岩山砦を守っていた中川清秀が戦死。嫡男の秀政が家督を継いだ。

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