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小田原合戦

1590年4月3日 · 小田原城

豊臣秀吉が小田原へ着陣し、諸将の軍勢で後北条氏の小田原城を包囲した。

背景

九州平定後、秀吉は関東・奥羽の大名に私戦を禁じる惣無事令を示し、北条氏にも上洛を求めた。北条方が先延ばしする中、家臣による真田方・名胡桃城占拠が起き、秀吉はこれを口実として出兵した。

結末

北条氏は小田原城と城下を囲む総構で籠城したが、秀吉は山中・韮山・鉢形・八王子など支城を落としながら包囲を続けた。7月5日に氏直が降伏・開城し、氏政・氏照は切腹、氏直は高野山へ追放された。

小田原合戦 — 小田原城

戦況年表

1 1590年4月

豊臣軍が小田原城を包囲する

山中城など各地の支城を攻略した豊臣方は、小田原城を大軍で包囲した。後北条方は城下を囲む総構を拠点に籠城した。

出典1234·確実度:高

2 1590年6月

石垣山に本陣が置かれる

秀吉は小田原城を見下ろす石垣山に本陣を構えた。「一夜城」は一夜で築城したという意味ではなく、樹木を除いて突然城を見せたという伝承に基づく呼称である。

論点

一夜で築城したという理解は採らない。

出典1234·確実度:高

3 1590年7月

後北条氏が降伏する

支城の攻略と長期包囲を受け、後北条氏は降伏した。氏政・氏照は切腹し、氏直は高野山へ送られ、旧領には徳川家康が移された。

出典1234·確実度:高

歴史的な位置づけ

後北条氏の戦国大名としての支配は終わり、秀吉の全国統一は完成に近づいた。徳川家康は戦後に関東支配を命じられ、江戸へ入った。

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主な関係人物

豊臣氏

4名

豊臣秀吉

総大将

石垣山城に本陣を置き、諸将を率いて小田原城を包囲した。

出典12·確実度:高


徳川家康

秀吉方として参陣

秀吉方として出陣し、戦後に関東支配を命じられて江戸へ入った。

出典1·確実度:高


伊達政宗

秀吉方として参陣

奥州から参陣し、豊臣政権への服属を示した。

出典1·確実度:高


豊臣秀次

東海道方面軍

東海道方面に動員された豊臣方諸将の一人として小田原包囲に加わったとされる。

出典1·確実度:中

後北条氏

3名

北条氏政

御隠居として実権を保った当主

小田原城に籠城し、開城後に氏照とともに切腹を命じられた。

出典12·確実度:高


北条氏直

後北条氏当主

小田原城に籠城し、1590年7月に降伏して高野山へ追放された。

出典12·確実度:高


北条氏照

氏政の弟

八王子城ではなく小田原城に籠城し、開城後に切腹した。

出典12·確実度:高

参照した資料

  1. 小田原市「小田原合戦」
  2. 小田原市「北条氏五代100年の歴史」
  3. 小田原市「史跡・石垣山」
  4. 小田原市「石垣山一夜城」

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1590年の勢力図を見る
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