
小田原征伐後、東北大名の再配置を行い、豊臣政権の支配体制が全国に確立。
1月22日
豊臣秀長が郡山城で死去した。秀吉を支えた親族大名の一人を失い、豊臣家では後継問題が再編される。
9月
葛西・大崎一揆の平定後、父祖伝来の米沢から政宗が岩手沢城(岩出山と改称)へ移り、新拠点とした。
出典 仙台市博物館「主な収蔵品11 伊達政宗に関する資料(2)」
10月10日
高野山に追放されていた北条氏直が赦免され、見性斎と称して秀吉に仕え、大名に復帰した。北条家の戦国大名としての再興の可能性が生まれた。
大名に復帰した北条氏直は、その後間もなく病没した。五代100年に及んだ小田原北条氏の戦国大名としての政権は1590年に終わり、氏直の早い死によって旧領を基盤とする当主家の再興は実現しなかった。
豊臣秀吉が京都を囲む御土居を築き、軍事防衛・治水・都市区画を兼ねた土木事業を進めた。併せて寺町造成と本願寺の現在地への移転を進めた。