
後北条氏の圧迫を受けた関東管領・上杉憲政は本拠の平井城を退去し、後に越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼った。後北条氏の上野方面への進出が大きく進む画期となった。
1月28日
義輝と三好長慶が和睦成立し、義輝が帰京した。長慶は幕府の御供衆となり、一守護代を越えた将軍直臣の地位を得た。
出典 大東市「飯盛城跡調査報告会冊子」
2月
遊佐長教暗殺後、河内で高屋城の萱振賢継と飯盛城の安見宗房が対立。宗房が賢継を謀殺し、河内で台頭した。
出典 大東市「安見宗房」
後北条氏の圧迫を受けた関東管領・上杉憲政は本拠の平井城を退去し、後に越後へ亡命した。
出典 藤岡市「中世関東の要、平井城と関東管領上杉氏の盛衰」
尼子晴久は幕府から修理大夫および山陰・山陽八か国の守護に任じられ、軍事的な勢力拡大に公的権威を加えた。
出典 岡山県「下克上の時代」