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国別データ

三河国


年表

  1. 1536年 〜1548年

    松平広忠今川義元織田信秀・戸田氏・牧野氏ほか

    諸勢力並立松平氏分裂後に今川・織田両勢力が介入
  2. 1548年

    小豆坂の戦い(第二次、天文17年)

    尾張の織田信秀と、三河への影響力拡大を図る今川義元が、天文11年に続き小豆坂で再度衝突。今川方が勝利し、織田方を三河から押し退けた。

    小豆坂の戦い(第二次、天文17年)が行われた1548年の勢力図
  3. 1549年 〜1554年

    今川氏城代

    今川氏松平竹千代(元康)は今川方の人質で、岡崎城は今川氏の城代が押さえた。碧海郡の安祥城は1549年に今川方が奪回
  4. 1549年

    安祥城の奪還

    義元は太原雪斎らに安祥城を攻略させ、城主の織田信広を捕らえた。人質交換で松平氏は今川氏の保護下に置かれた。

    安祥城の奪還が行われた1549年の勢力図
  5. 1555年 〜1559年

    松平元康

    今川氏今川氏支配下
  6. 1558年

    寺部城の戦い

    松平元康が今川方として、織田方へ移った寺部城主・鈴木重辰を攻めたと伝わる。元康の初陣とされる。

    寺部城の戦いが行われた1558年の勢力図
  7. 1560年

    松平元康今川氏真

    諸勢力並立桶狭間のあと松平元康は岡崎城へ帰って自立へ動いたが、東三河は今川方が保った。三河の統一は1566年
  8. 8月元康の岡崎帰還

    松平元康(家康)が三河・岡崎へ復帰し、今川からの自立を進める。

    元康の岡崎帰還が行われた1560年の勢力図
  9. 1561年 〜1562年

    松平元康今川氏真

    諸勢力並立松平元康は1561年に牛久保城を攻めて今川氏と断交し、1562年に織田信長と清須同盟を結んだ。東三河の菅沼・奥平ら国衆は松平方へ移ったが、三河の統一は1566年
  10. 1563年 〜1564年

    松平家康今川氏真

    諸勢力並立1563年に三河一向一揆が起こり、家臣団が割れた。今川方は東三河に残り、三河の統一は1566年
  11. 1563年

    三河一向一揆が始まる

    徳川家康方と三河三か寺を中心とする本願寺派門徒が衝突し、家康の家臣も両陣営に分かれた。戦いは1564年春の和議・鎮圧まで続いた。

    三河一向一揆が始まるが行われた1563年の勢力図
  12. 本證寺・勝鬘寺の蜂起

    本證寺住持の空誓上人、勝鬘寺に拠った蜂屋半之丞らが立て籠もり、城郭伽藍と一体化した寺内町で家康方と対峙した。

    本證寺・勝鬘寺の蜂起が行われた1563年の勢力図
  13. 1564年

    1月小豆坂・馬頭原の合戦

    一揆方の主力である土呂・針崎の門徒が家康方と交戦。一揆方が敗退して衰退へ向かい、和議への道が開かれた。

    小豆坂・馬頭原の合戦が行われた1564年の勢力図
  14. 徳川家康が吉田城を攻略

    徳川家康は今川方の吉田城を攻略し、酒井忠次に吉田城と東三河の支配を委ねた。今川氏の東三河支配は後退し、家康による三河統一が進んだ。

    徳川家康が吉田城を攻略が行われた1564年の勢力図
  15. 三河一揆の和議

    家康は一揆方と和議を結んで一揆を解体させた。その後、一向宗寺院に改宗を迫り、堂宇を破却して住持らを追放した。

    三河一揆の和議が行われた1564年の勢力図
  16. 1565年

    松平家康

    徳川氏吉田・田原の開城で東三河も松平方に入り、三河は家康の手にまとまった。徳川への改姓と三河守の叙任は翌1566年12月
  17. 1566年 〜1569年

    徳川家康

    徳川氏1566年12月に松平家康は三河守に叙されて徳川へ改姓した。三河の平定はその前年
  18. 1566年

    松平家康が徳川へ改姓

    三河を平定した松平家康は朝廷から徳川への改姓を許されて三河守に任ぜられ、領国支配の正統性を強めた。

    松平家康が徳川へ改姓が行われた1566年の勢力図
  19. 1570年 〜1580年

    徳川家康

    徳川氏
  20. 1570年

    7月徳川家康の勢力固め

    姉川での戦功を背景に三河・遠江で支配を強化。敵対する国衆の制圧や新規城郭の整備が進む。

    徳川家康の勢力固めが行われた1570年の勢力図
  21. 1575年

    6月29日長篠・設楽原の戦い

    長篠城救援に赴いた織田信長・徳川家康連合軍が設楽原で武田勝頼軍を破り、武田方は多くの有力武将を失った。

    この合戦を詳しく見る →
  22. 1579年

    石川数正、岡崎城代を命じられる

    信康自刃後、家康の重臣として岡崎城代となった。城代在任期間は天正7年から出奔の天正13年11月まで。

    石川数正、岡崎城代を命じられるが行われた1579年の勢力図
  23. 1581年

    徳川家康

    徳川氏
  24. 1582年

    徳川家康

    徳川氏
  25. 6月23日徳川家康が伊賀越えで岡崎へ帰還

    徳川家康は甲賀・伊賀の人々や茶屋四郎次郎らの助力を得て伊賀経由の帰国路を進み、6月4日に岡崎城へ到着した。

    徳川家康が伊賀越えで岡崎へ帰還が行われた1582年の勢力図
  26. 1583年

    徳川家康

    徳川氏
  27. 1584年

    徳川家康

    徳川氏
  28. 1585年

    徳川家康

    徳川氏
  29. 11月13日石川数正が秀吉のもとへ出奔

    家康の重臣で岡崎城代だった石川数正が、妻子と信濃小笠原家の人質を連れて出奔し秀吉方についた。徳川の軍制に通じた重臣の離反は痛手となり、家康は軍制を改めたと伝わる。出奔の動機は確定していない。

    石川数正が秀吉のもとへ出奔が行われた1585年の勢力図
  30. 1586年

    徳川家康

    徳川氏
  31. 1587年

    徳川家康

    豊臣氏
  32. 1588年

    徳川家康

    豊臣氏
  33. 1589年

    徳川家康

    豊臣氏
  34. 1590年

    徳川家康

    豊臣氏徳川家康の関東移封の後に田中吉政・池田輝政らが入った/家康の関東移封後に豊臣系諸領主へ移行
  35. 1591年 〜1597年

    田中吉政・池田輝政ほか

    豊臣氏田中吉政・池田輝政らが分領
  36. 1598年 〜1599年

    田中吉政・池田輝政ほか

    豊臣氏田中吉政・池田輝政らが分領
  37. 1600年

    田中吉政・池田輝政ほか

    徳川方岡崎の田中吉政と吉田の池田輝政が在国した/関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る
  38. 1601年 〜1602年

    徳川家康

    徳川政権
  39. 1603年 〜1616年

    徳川家康

    徳川政権

この国の郡(8)

八名郡
加茂郡
宝飯郡
幡豆郡
渥美郡
碧海郡
設楽郡
額田郡

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