
志摩の海上勢力・織田/豊臣水軍
志摩の海上勢力を基盤に織田方へ加わり、伊勢湾から大坂湾までの水軍を率いた武将。滝川一益を介して信長に仕えたと伝えられ、長島や木津川口で軍船を率いた。第一次木津川口の敗戦後、信長は大型船の建造を命じ、1578年に嘉隆の船団が毛利水軍と戦った。この優勢は石山本願寺の海上補給を圧迫し、1580年の退去へつながる条件の一つになった。伊勢・志摩の海上勢力は一人の大名が統率するものではなく、嶋衆・地侍・船主・港を基盤とする集団で、嘉隆は織田の軍事要求と地域の船・人・港を仲介した。
出典 鳥羽市「九鬼嘉隆(人物概要)」/鳥羽市「戦国武将九鬼嘉隆と九鬼水軍」/国立国会図書館デジタルコレクション「多聞院日記」検索
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1件
1584年
3月
小牧・長久手の戦い
羽柴方の水軍羽柴秀吉と、織田信雄・徳川家康が尾張で争った戦役。小牧山と楽田で長い対陣が続くなか、三河へ迂回した羽柴勢が長久手で徳川勢に討たれた。戦術では家康が勝ち、政略では秀吉が信雄と単独講和して目的を遂げた。
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