INTERACTIVE BATTLE
1467年10月3日 · 相国寺
東西両軍が激突して相国寺が焼亡したが、決着には至らなかった。
花の御所に隣接する相国寺は東軍方が確保していた大寺院で、西軍にとって将軍御所を脅かす拠点だった。洛中での大規模戦闘のなか、西軍総帥・山名宗全は畿内・西国から集めた諸勢力の兵でその奪回を図った。
応仁元年(1467)10月、山名宗全は畠山義就・大内政弘・土岐・六角・一色などの兵を率いて相国寺を攻め、数時間に及ぶ激戦となった。寺は焼失したが、決着には至らなかった。合戦の正確な日付は確認できていない。

山名宗全ら西軍、相国寺を攻撃
室町御所付近の相国寺を奪回しようと、西軍の山名宗全が畠山・大内・土岐・六角・一色などの兵を挙げて、東軍方が確保する相国寺を攻めた。
論点
合戦の具体的な日付(10月3日)は京都市の資料では確認できておらず、月(応仁元年10月)にとどめる。
出典123·確実度:中
数時間の激戦の末、相国寺は焼失
東西両軍は数時間に及ぶ激戦となり、相国寺は焼失したが、決着には至らなかった。
出典123·確実度:中
将軍御所至近の大寺院を舞台とした激戦は、応仁の乱が洛中の広い範囲を巻き込む全面戦争になっていたことを示している。
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参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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