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伏見城の戦い

1600年8月26日 · 伏見城

徳川家康の会津出陣後、西軍が鳥居元忠らの守る伏見城を包囲し、関ヶ原戦役の最初の本格的攻城戦が始まった。

背景

伏見城は秀吉晩年の政治拠点で、秀吉死後は家康が大老として入った。家康が上杉景勝への軍事行動のため会津へ向かうと、鳥居元忠らが留守を守った。

結末

西軍諸将が伏見城を包囲・攻撃し、鳥居元忠らは籠城の末に戦死して城は落城・焼失した。

伏見城の戦い — 伏見城

戦況年表

1 1600年7月

西軍が伏見城を包囲する

徳川家康が会津方面へ出陣した後、西軍は鳥居元忠らが守る伏見城を包囲した。伏見城は畿内の交通と豊臣政権の政治空間を押さえる拠点だった。

出典1234·確実度:高

2 1600年8月1日

伏見城が落城・焼失する

攻撃を受けた伏見城は落城・焼失し、守将の鳥居元忠らが戦死した。城跡は後世の改変が大きく、戦闘地点を現在の地表へ細かく比定しない。

論点

現在の地形から個別の戦闘地点を確定しない。

出典1234·確実度:高

歴史的な位置づけ

関ヶ原当日に先立つ独立した攻城戦であり、関ヶ原戦役で最初の本格的な攻城戦として位置づけられる。伏見・岐阜・大津・田辺など各地の戦いとあわせ、関ヶ原はその決着点にあたる。

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主な関係人物

徳川方

1名

鳥居元忠

伏見城の守将

西軍諸将の包囲・攻城の末に戦死し、城は落城・焼失した。

出典12·確実度:高

参照した資料

  1. 京都市「伏見城跡 発掘調査報告書」
  2. 京都市「都市史20 伏見城」
  3. 京都市「伏見区の歴史:安土桃山時代 秀吉が開いた城下町」
  4. 京都市文化財保護課「伏見城跡・指月城跡 現地説明会資料」

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1600年の勢力図を見る
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