土佐に漂着したスペイン船サン・フェリペ号の乗組員の発言をきっかけに、秀吉はキリスト教宣教師・信徒の摘発に乗り出した。同年7月には大地震が畿内を襲って伏見城の建物が倒壊し、多数の死者を出すなど、秀吉政権の晩年は災厄と緊張が重なる一年となった。
閏7月13日
畿内を大地震が襲い、完成直後の指月伏見城が倒壊するなど京都・伏見一帯に甚大な被害が出た。
閏7月23日
指月城倒壊から約10日後、豊臣秀吉が木幡山で新たな伏見城の築城を始めた。
スペイン船サン=フェリペ号が土佐国浦戸へ漂着し、積荷没収と乗員の取り調べがキリシタン弾圧強化の契機となった。
秀長家の断絶後、桑山重晴の孫・一晴が和歌山城主の地位を継承。以後、重晴も一晴も東軍方として行動することになる。
出典 史跡和歌山城
文禄4年に領主となった板島丸串城を本城と定め、翌慶長元年から本格的な築城工事を始めた。
出典 宇和島市「国指定 宇和島城」