1577年:手取川の敗戦と秀吉の中国攻め始動

1577年:手取川の敗戦と秀吉の中国攻め始動

北陸へ進出した上杉謙信は9月、加賀手取川で柴田勝家率いる織田の援軍を撃破し、生涯最後となる大勝を収めた。一方、西国では羽柴秀吉が播磨方面への侵攻を本格化させ、毛利氏の勢力圏に迫る中国攻めが新たな戦線として動き出した年でもあった。

年内の主な出来事

9月

七尾城の攻略

上杉謙信が能登畠山氏の拠点・七尾城を二度包囲し、重臣遊佐続光の内応で落城させた。長続連ら抗戦派が討ち取られ、越中・能登への影響力が最大化した。

出典 七尾市「史跡七尾城跡」

9月23日

手取川の戦い

七尾城救援に向かった織田方の柴田勝家らが撤退を開始。上杉謙信は増水する手取川で追撃し、織田軍に損害を与えた。甲相同盟の外交的亀裂も表面化。

出典 七尾市「七尾城保存資料」

10月23日

羽柴秀吉が播磨へ出陣

織田信長から中国地方の毛利攻めを命じられた羽柴秀吉が播磨へ出陣し、中国攻めを本格化させた。

12月

伊東崩れ(伊東義祐の日向退去)

島津方の攻勢で日向の拠点を保てなくなった伊東義祐が、一族を率いて日向を退去し、大友宗麟を頼って豊後へ逃れた。

12月3日

羽柴秀吉が上月城を攻略

播磨へ進出した羽柴秀吉は毛利方と結ぶ勢力の拠点・上月城を攻略し、中国攻めの前線を西へ進めた。

月日不詳
羽柴秀長が竹田城代となる

羽柴秀吉の但馬攻めに従った弟・秀長が竹田城の城代となり、兄弟による中国・山陰攻略の一翼を担った。

明智光秀が丹波亀山城を築く

明智光秀は山陰道の要衝に丹波亀山城を築き、難航する丹波攻略とその後の統治の拠点とした。

蜂須賀正勝が龍野城主に

秀吉の播磨平定に伴い、蜂須賀正勝が龍野城主に配された。城郭の改修にも関わった。