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豊臣家臣・播磨城主

蜂須賀正勝

1526年〜1586年

織田信長・豊臣秀吉に仕え、播磨平定にともない龍野城主となり城郭改修に関わった。天正13年の四国平定において、秀吉は長年の功績ある正勝に阿波一国(約17万5600石)を与えるつもりだったが、正勝は高齢を理由に秀吉の側近にとどまることを望み辞退した。代わりに嫡子家政が天正13年に阿波を拝領して入国し、徳島城の築城を開始した。天正14年に正勝は没したが、後世には野盗の親分というイメージで語られることもあり、徳島市立博物館所蔵の肖像画はそのような像ではなかったことを示す。

出典 徳島市立徳島城博物館『蜂須賀正勝画像』、兵庫県立歴史博物館『龍野城』

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関連する出来事

2件

1577年

蜂須賀正勝が龍野城主に

当事者
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秀吉の播磨平定に伴い、蜂須賀正勝が龍野城主に配された。城郭の改修にも関わった。

1585年

蜂須賀家政が阿波を拝領

関係人物
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四国平定の功で秀吉は蜂須賀正勝へ阿波一国を与えようとしたが、正勝は高齢を理由に辞退。嫡子・家政が代わって阿波を拝領し、一宮城に入った。

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