明智光秀が最期を遂げたと伝える地点。山崎の戦いに敗れて坂本城を目指す途中、小栗栖の竹薮道で土民の襲撃を受けたと伝わる。1975年に建てられた碑に「天正十年六月十三日光秀横死」と刻む。
坂本城への帰還途中で落命したという大枠は同時代史料『兼見卿記』に基づくが、襲撃者や竹槍・自刃といった細部は石碑・観光資料でも「と伝えられる」と留保が付く。京都市の資料内でも「山科小栗栖」「伏見区小栗栖」と地名表記が揺れる。
落命した事実と、襲撃の細部や地名表記の揺れを分けて示す。
確実度:伝承本文に書いた沿革が、出典でどこまで裏づけられているかを示す。座標の精度や年代の確度ではない。
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