明智光秀の首を埋めたと伝える地点。京都市の資料は、首は当初粟田口付近に埋められて塚が築かれ、その上に建てられた五重石塔がのちに現在地へ移されたと伝える。現在の石碑は1903年に市川団蔵が建立した。
京都市の資料自体が「という」「とも」と留保を付けて複数の言い伝えを併記しており、光秀の遺体が実際にどこへ埋葬されたかは確定していない。
石碑の所在・建立年・建立者は確認できる事実として扱い、埋葬地の由来は伝承として分けて示す。
確実度:伝承本文に書いた沿革が、出典でどこまで裏づけられているかを示す。座標の精度や年代の確度ではない。
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