明智左馬之助 湖水渡り伝承の地

伝承地
近江国
1582年〜

明智秀満(左馬之助)が馬に乗って琵琶湖を渡り、対岸の坂本城へ帰ったと伝える地点。安土城の留守居だった秀満は光秀敗北の報を受けて坂本城へ向かい、打出浜で羽柴方の堀秀政軍と衝突したと伝わる。

論点

滋賀県文化財保護協会は「実際に秀満が馬に乗って琵琶湖を渡ったかは同時代史料から見出すことはできません」と明記する。現在の石碑は戦後の埋立地にあり、江戸期の地誌が伝える本来の打出浜とは位置がずれる可能性がある。光秀との続柄も資料によって娘婿・弟と食い違う。

注記

打出浜で堀秀政軍と衝突したという経過と、湖を馬で渡ったという逸話を分けて示す。


参照した資料

確実度:伝承本文に書いた沿革が、出典でどこまで裏づけられているかを示す。座標の精度や年代の確度ではない。


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