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直江兼続の家紋

上杉家 家老・与板城主

直江兼続

生年不詳〜1619年

直江兼続は、越後の上田衆出身の樋口与六として生まれ、直江信綱の死後に直江家を継いで上杉景勝の執政となった武将である。御館の乱後の恩賞配分で側近として重用され、越後統一後は佐渡・庄内・会津など景勝が獲得した領国の検地・知行配分・城普請を奉行として担った。1598年の会津120万石移封では城下・神指城の建設を指揮し、1600年には家康方との対立のなかで「直江状」をめぐる論争を経て、会津征伐軍が西上した隙に最上領へ侵攻したが、長谷堂城を落とせず関ヶ原の敗報を受けて撤退した。関ヶ原後、上杉家が米沢30万石へ減封されると、兼続は米沢城下の町割りや治水・産業奨励を進めて家臣団の存続を支え、1619年に死去した。

出典 会津若松市文化財保存活用地域計画/米沢市「米沢の歴史」/米沢市「直江兼続夫妻の墓」/山形市「長谷堂城跡」

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