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甲斐武田氏 当主

武田信虎

生年不詳〜1574年

甲斐武田氏の当主。永正4年(1507)に家督を継ぐと、油川・大井・栗原・今井氏など甲斐国内の一門・国衆との抗争と和睦を重ね、1531年頃までに反抗を抑えて甲斐国主としての権力を強めた。1519年には本拠を川田から躑躅ヶ崎へ移し、親族・家臣を集住させて市場・寺社・道路を備えた甲府の城下町を形成し、翌1520年には詰城の要害山城を築いた。1541年6月、駿河の今川義元のもとへ赴いた際に嫡男・晴信(信玄)によって帰国を阻まれて隠居させられ、家督は晴信へ移った。以後は今川氏のもとで暮らし、のちに京都・信濃高遠などへ移り、1574年に没した。

出典 甲府市「武田信虎」/甲府市「武田三代のまちづくり」/甲府市「武田氏館跡」/山梨県「史跡 武田氏館跡」/甲府市「甲府年表」/山梨県『ふるさと山梨』資料編年表

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関連する出来事

2件

1519年

12月

武田信虎が甲府を開創

躑躅ヶ崎館を築き甲府を開創
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武田信虎は12月20日に石和館から躑躅ヶ崎の新館へ本拠を移した。新たな城下の整備が甲府の町の始まりとなった。

1520年

武田信虎が要害山城の築城を開始

詰城の築城を主導
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武田信虎は躑躅ヶ崎館の北を守る詰城として要害山城の築城を始めた。

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