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島津義弘の家紋

島津家の軍事指導者、朝鮮出兵の将

島津義弘

1535年〜1619年

島津義弘は島津貴久の次男で、兄・義久を助けて薩摩・大隅・日向の三州統一と九州制覇に従軍した。1587年の豊臣秀吉による九州平定後は島津家の軍事面を担い、朝鮮出兵では1598年の泗川の戦いで寡兵をもって明・朝鮮の大軍を退けたが、嫡男・久保を含む多くの将兵を失った。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に属し、敗戦後に徳川家康の本陣正面へ敵中突破を敢行して伊勢路へ退却、堺から海路で薩摩へ帰り着いた(島津の退き口)。晩年は加治木(現・鹿児島県姶良市)に隠居し、当主となった子の忠恒を補佐しながら地域振興に取り組み、1619年に没した。

出典 尚古集成館、姶良市公式「島津義弘公没後400年」

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関連する出来事

4件

1587年

3月

九州平定

島津軍の指揮
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大友氏の要請と島津氏への停戦命令を背景に、豊臣秀吉が大軍を九州へ進め、島津義久を降伏させた戦役。

1597年

7月

講和が破れて再び渡海した日本軍は、漆川梁で朝鮮水軍を破り南原城を落として全羅道を押さえた。だが稷山で北上を止められ、復帰した李舜臣に鳴梁で敗れて南岸の倭城に釘付けとなる。1598年8月の秀吉の死を受けて撤退し、11月の露梁海戦で7年の戦役が終わった。

1600年

9月15日

本多忠勝、関ヶ原で軍監を務める

参戦・関係
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東軍の軍監として参陣し、十九女池西側に布陣。午後には松平忠吉・井伊直政と共に島津義弘隊を追撃した。

10月21日

関ヶ原の戦い

敵中突破で帰国
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美濃関ヶ原で東西両軍が激突。徳川家康率いる東軍が大勝。

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