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佐竹義重の家紋

常陸佐竹氏 当主

佐竹義重

1547年〜1612年

常陸佐竹氏の当主で、「鬼義重」の異名を持つ。1562年、16歳で父・義昭から家督を継ぎ、1565年の義昭死去後は単独当主として、後北条氏の北関東進出に対抗する宇都宮・結城・那須氏らとの連合を築いた。1584年の沼尻合戦では北条氏政・氏直の主力と約3か月対陣して北関東への進出を食い止め、南奥州でも伊達政宗と争って1585年の人取橋合戦で政宗を追い詰め、次男・義広を蘆名氏の養子に送り込んだ。1589年の摺上原の戦いで政宗に敗れて会津への影響力を失ったが、1590年の小田原征伐には子の義宣とともに参陣して常陸・下野の所領を安堵され、義重が築いた優位を土台に義宣が常陸統一を進めた。

出典 茨城県立歴史館「佐竹義重」/本宮市「人取橋合戦跡」/郡山市・市制施行100周年資料/福島県「中世」/栃木市・歴史的風致形成の背景/水戸市・歴史的風致形成の背景

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関連する出来事

2件

1585年

11月

人取橋合戦

連合軍の中心
この合戦を詳しく見る →

伊達政宗軍と、佐竹義重を中心に蘆名氏などが加わった反伊達連合軍が人取橋周辺で戦った合戦。伊達軍は苦戦したが、連合軍は撤退した。

1588年

6月

郡山合戦

佐竹方の中心
この合戦を詳しく見る →

伊達政宗と、佐竹・蘆名方が郡山周辺で対陣・交戦した一連の戦闘。長期対陣の後、講和が成立した。

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