1604年:糸割符制度の制定

1604年:糸割符制度の制定

徳川家康は、生糸貿易でポルトガル商人が利益を独占していた状況を是正するため、京都・堺・長崎の特定商人組合に一括購入と国内への分配を担わせる糸割符制度を定めた。この統制策により、輸入生糸の価格決定権は日本側に移り、貴金属の海外流出も抑制されることとなった。

年内の主な出来事
月日不詳
日本橋を起点とする五街道制

江戸幕府は日本橋を全国の道程の起点と定め、東海道など五街道を軸とする交通制度の整備を進めた。

前田利長、能登に十村制を創始

能登で10ヶ村程度をまとめて組織する仕組みをつくり、後の加賀藩特有の農民支配機構となる十村制の端緒とした。

糸割符制度の開始

長崎に来航するポルトガル船が運ぶ中国産生糸について、堺・京都・長崎の商人で組織する「糸割符仲間」に価格決定と一括購入の特権を与え、貿易統制と商人保護を図った。

出典 長崎市出島復元整備室「出島の歴史(長崎年表)」

一里塚の設置

江戸日本橋を起点として、街道の両側に1里(約4km)ごとに塚を築かせ、榎などを植えさせた。旅人にとっての道のりの目安、および駕籠や馬の料金の目安として機能した。

出典 東京都板橋区「時代を紡ぐ 志村一里塚は動かなかった!」

佐渡金銀山で官営の間歩整備が進む

佐渡奉行の大久保長安のもとで、金銀山の坑道(間歩)の整備が幕府直営で進められた。佐渡金銀山遺跡は国の史跡に指定されている。

出典 新潟県佐渡市「国指定 記念物:佐渡金銀山遺跡」