
秀吉は太政大臣に任じられ、朝廷から豊臣の姓を賜り、名実ともに天下人としての地位を固めた。同年4月、島津氏の圧迫を受けていた豊後の大友宗麟が大坂城の秀吉のもとを訪れて救援を要請し、これを機に翌年の九州平定へとつながる出兵の準備が進められた。
1月18日
天正13年11月29日(1586年1月18日)深夜、北陸から中部・近畿にかけて大地震が起きた。飛騨白川郷では山崩れで帰雲城が城下町ごと埋まり、越中の木船城、美濃の大垣城、伊勢の長島城、近江の長浜城も壊れた。
出典 岐阜県「天正地震(天正13年11月29日)」
5月
豊臣秀吉は妹の朝日姫を徳川家康へ嫁がせ、豊臣・徳川間に姻戚関係を作った。さらに母の大政所を岡崎へ送り、家康が秀吉へ臣従する交渉を親族関係と政治的保証で支えた。
出典 国立公文書館「秀吉への臣従」/東京大学史料編纂所『大日本史料 第十一編之二十九』
7月27日
島津方の大軍が大友方の岩屋城を包囲。城督・高橋紹運は降伏勧告を拒否して籠城を続け、14日間の攻防の末に自刃して落城した。
出典 太宰府市公式「岩屋城跡」