
信長は近江・安土山に壮麗な安土城の築城を開始し、天下統一の新たな拠点とした。一方、摂津では毛利氏の支援を受けた本願寺勢が息を吹き返し、5月の天王寺の戦いで信長自らが出陣して勝利するも銃創を負った。同時期の木津川口の海戦では毛利水軍が織田水軍を破り、本願寺への補給路を確保するなど、石山合戦は一進一退を続けた。
5月3日
本願寺方が1万を超える兵で反撃し、天王寺砦付近での戦闘で織田方の指揮官・原田直政を討ち取った。
5月7日
信長は若江から出馬し、本願寺方の包囲を突破して砦へ入り、明智光秀らと合流して撃破。この際に足に銃創を負った。
石山本願寺へ兵粮を運ぶ毛利氏・村上水軍の船団が、木津川口で織田方水軍を破り、海上補給路を維持した。敗戦後、信長は九鬼嘉隆らに大型船の建造を命じた。
出典 鳥羽市「九鬼嘉隆(人物概要)」/鳥羽市「戦国武将九鬼嘉隆と九鬼水軍」