1569年:本圀寺の変

1569年:本圀寺の変

信長が岐阜へ帰国した隙を突き、三好三人衆ら1万の軍勢が将軍・足利義昭の仮御所・本圀寺を襲撃した。籠城した明智光秀らの奮戦と諸将の後詰めで持ちこたえるうちに、報せを受けた信長がわずか2日で京都に到着。三好勢は撃退され、信長は義昭のために本格的な御所(二条城)の造営に着手した。

年内の主な出来事

5月

掛川城が徳川家康に開城

武田信玄に追われて掛川城に逃げ込んだ今川氏真を、徳川家康が半年にわたり攻め続けた。氏真は城を開き、戦国大名としての今川領国を失った。

出典 掛川市「掛川城の歴史」

8月26日

大河内城の戦い

織田信長は伊勢国司・北畠具教を大河内城に攻め、二重三重の柵で囲んで約50日間籠城させた。和睦により信長の三男・茶筅丸が北畠具房の養嗣子となり、北畠氏は実質的に屈服した。

出典 三重県「大河内城の戦いと信長の伊勢進攻」

10月

武田信玄が小田原城を包囲

武田信玄は大軍を率いて相模国の小田原城を包囲した。包囲を解いて甲斐へ帰還する途上で北条方と衝突し、三増峠の戦いになった。

出典 小田原市「新・北条五代記 四代氏政の時代」

三増峠の戦い

小田原城の包囲を解いて甲斐へ帰る武田軍を北条方が追撃し、三増峠一帯で合戦になった。愛川町の解説は、序盤は北条方が優位だったが山県昌景の部隊が高所から奇襲して戦況が変わり、最終的に武田軍が勝ったとする。戦死者数として北条方3,269人・武田方900人が紹介されているが、町が伝承値として示すもので確定した数字ではない。

出典 愛川町「三増合戦史跡」

11月

武田軍が深沢城を攻囲

駿河・相模・甲斐を結ぶ要衝の深沢城を武田軍が囲み、翌元亀元年1月に開城した。

出典 静岡県「しずおか文化財ナビ 深沢城跡」

月日不詳
足利義昭の二条御所を築造

織田信長は前年に将軍となった足利義昭のため、旧武衛陣跡を拡張して城郭様式の二条御所を築いた。

北条氏と上杉氏が越相同盟を結ぶ

武田信玄の駿河侵攻を受け、北条氏康・氏政は長く敵対していた上杉謙信との和睦を進めた。両氏は越相同盟を結び、武田氏に対抗する外交関係へ移った。

出典 おだわらデジタルミュージアム「北条氏康書状(永禄12年3月13日)」