1568年:織田信長の上洛と足利義昭の将軍就任

1568年:織田信長の上洛と足利義昭の将軍就任

足利義昭の要請を受けた織田信長は大軍を率いて上洛し、三好方の抵抗を排して京都を制圧した。10月、義昭は15代将軍に任じられ、信長の軍事力を背景に幕政の立て直しが図られたが、これは同時に信長自身が中央政局の主導権を握る端緒ともなった。

年内の主な出来事

4月

足利義昭、一乗谷で元服

朝倉義景の後見のもと、足利義昭は一乗谷で元服の儀を行い、名を義秋から義昭へ改めた。

出典 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館「朝倉氏の歴史」

10月

足利義昭、征夷大将軍に就任

織田信長に奉じられて上洛した足利義昭は、京都に入り征夷大将軍に就任した。室町幕府の将軍体制が再度確立された。

出典 高槻市「11.足利義昭の上洛と高槻」

月日不詳
織田信長が観音寺城を攻略

足利義昭を奉じて上洛する織田信長は近江の観音寺城を攻め、六角義賢らを退けて京都への進路を確保した。

出典 滋賀県「史跡観音寺城跡の調査と整備」

武田信玄が駿河へ侵攻

武田信玄が今川氏真の領国・駿河へ侵攻して駿府を占領した。今川氏と婚姻関係にあった後北条氏は武田氏と断交し、甲相駿三国同盟は崩れた。

出典 静岡市歴史博物館「今川義元」/おだわらデジタルミュージアム「北条氏康書状(永禄12年3月13日)」

徳川家康が遠江へ侵攻

徳川家康は武田信玄と駿河・遠江の分割を約し、井伊谷三人衆の手引きで遠江へ侵攻した。引馬城を攻略し、これを拡張して浜松城を築いた。

出典 浜松市「徳川家康公顕彰四百年記念事業特別展 家康と遠江の国衆」

織田信長が堺に矢銭を要求

信長は京都へ入った直後、自治都市・堺に2万貫の矢銭(軍用金)を要求した。堺の住人は防御のため濠を深くしたという記録が残る。

出典 堺市「堺環濠都市遺跡」

大宮城をめぐる攻防

武田方の攻撃に対し富士信忠が大宮城で抵抗した。攻撃は複数回あったとされるが、公的資料で確認できるのは永禄11〜12年という期間で、個々の月日は分かっていない。

出典 富士宮市「大宮城の発掘」