
里見義弘が下総へ侵攻して国府台城に入ると、北条氏康・氏政父子は太日川を渡って夜襲をかけ、寝込みを襲われた里見軍は大混乱に陥って敗走した。江戸城代・太田康資の離反という危機を乗り越えた北条氏は、この勝利で関東における優位を回復した。
1月
一揆方の主力である土呂・針崎の門徒が家康方と交戦。一揆方が敗退して衰退へ向かい、和議への道が開かれた。
出典 岡崎市「市指定:史跡 小豆坂古戦場跡」
7月4日
三好長慶が飯盛城中で没した。日付は真観寺の宝篋印塔銘「永禄七甲子 聚光院殿大禅定門 七月初四日」による。
出典 四條畷市「国史跡 飯盛城跡について」/大阪府「三好長慶ゆかりの地」
北条氏政と里見義弘が国府台で戦った。北条方が勝利して房総への影響力を広げた。
徳川家康は今川方の吉田城を攻略し、酒井忠次に吉田城と東三河の支配を委ねた。今川氏の東三河支配は後退し、家康による三河統一が進んだ。
出典 文化庁「徳川家康御判物 永禄7年(酒井忠次宛)」/豊橋市図書館「吉田城」
家康は一揆方と和議を結んで一揆を解体させた。その後、一向宗寺院に改宗を迫り、堂宇を破却して住持らを追放した。
出典 安城市図書情報館「新編安城市史5 細目次」
国府台合戦で敗北した太田資正は岩付城に逃れたが、まもなく嫡子・氏資に追放されて北条氏に服属した。
出典 さいたま市「岩槻城跡を探る(中編・下)」