1562年:清洲同盟の成立

1562年:清洲同盟の成立

桶狭間で今川義元を討った織田信長は、今川氏から自立を図る松平元康(後の徳川家康)と清洲城で会見し、攻守同盟を締結した。両者の同盟は信長が本能寺で横死するまで約20年にわたり維持され、戦国期には珍しい安定した関係として知られる。

年内の主な出来事

1月

葛西城の攻防

北条方の太田康資勢が葛西城を包囲。約2か月持ちこたえたが4月下旬に陥落。この際、安房里見氏の重臣が討ち取られた。

出典 さいたま市「岩槻城跡を探る(中編・下)」

3月

久米田の戦いで三好実休が戦死

畠山方との戦いで三好実休が久米田寺付近で戦死した。日を3月5日とする解説が多いが、岸和田市の公式資料は月までの記載にとどまる。

出典 岸和田市「三好実休の碑」

11月

松山城の包囲

北条氏康は武田信玄の応援を得て松山城を包囲。約3か月の包囲のうえ、翌1563年2月に陥落させた。

出典 さいたま市「岩槻城跡を探る(中編・下)」

月日不詳
清須同盟成立

松平元康と織田信長は清須城で会見して同盟を結び、元康は三河平定、信長は美濃攻略へ注力できる体制を整えた。

北条氏が飯泉観音門前市に法度を出す

後北条氏は飯泉観音の門前市に対し、課税・強制的な買い取り・乱暴や口論を禁ずる法度を出し、市場の取引と安全を統制した。

出典 おだわらデジタルミュージアム「郷土読本 小田原」